名前 |
小手ヶ滝城址 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
小手ケ滝城案内板より。
「遺構の中心は最頂部の台形状の郭(Ⅰの郭)である。
現在は藪椿におおわれているが、長辺約二五メートル、縦約三〇メートルとかなり広い面積を有する。
Ⅰの郭の北方に数メートルの段差をへだててⅡの郭、更に一メートル弱の段差を隔ててⅢの郭が続く。
Ⅱ・Ⅲの郭の東端は土塁状に一段高くなっている。
そのほか、Ⅱの郭の西方崖下に腰郭状にⅣの郭、Ⅰの郭の西南崖下には舌状のⅤの小郭があって、それぞれ側面を固めている。
またⅡの郭の西北端の整然とした石積、Ⅳの郭の北端にある井戸跡らしき穴(ただし現在は、枯葉などでほとんど埋没してしまっている)などは興味深い遺構である。
Ⅰの郭の南は急峻な崖(段差約十二メートル)となって大きな堀切を形成し、さらに尾根を南方に下がっていく途中にも小規模な堀切が二条、尾根が下がりきった鞍部にも堀切が一条設けられている。
このように小手ケ滝城は堀切や土塁を多用することによって要害堅固な城を作り上げている。
」「北方には屏風のように切り立った高峻な山並みの一角に、大熊城を遠望することができ、両城の親近性がよく理解できる。
なお、小手ケ滝城の周辺には今も、城の首・城の藪・城ノ内・治部屋敷・羽五郎屋敷・古木戸などの城郭関連地名が残り、戦国時代をしのぶよすがとなっている」大熊城、小手ケ滝城、鳥屋ケ森城「これら三城の位置関係をみてみると、三城で井内川流域を見事に包囲していることがわかる。
このようにして大熊城は、南方の小手ケ滝城、西方の鳥屋ケ森城を枝城として従え、この三城が一体となって井内川流域の支配を完遂していたといえる。
」