良く 保存されており説明坂もありますよ。
北天満山・小西行長陣跡 / / .
⭐️「北天満山」の小西行長陣跡⭐️⭐️左手には動かない西軍/島津勢、正面に着陣した東軍/筒井定次隊や田中吉政隊と激戦を繰り広げるも、小早川秀秋裏切りにより大谷吉継隊と宇喜多秀家隊の壊滅、そして小西隊も壊滅し小西行長伊吹山に逃避、後に捕縛され京都六条河原で処刑される⚔️⭐️キリシタン大名の代表格、豊臣政権下で石田三成や長束正家と共に重要な文官を務め、堺商人の家から武将と成り大名に、領地は肥後の国/宇土城(熊本城の現存三重櫓/宇土櫓は宇土城からの移築とも)❗️⭐️小西行長陣跡の東側に広い駐車場あり、「開戦地」と一緒に見学可能、更に東側が島津義弘陣跡のある森🌳
小西、島津、宇喜多の陣からも小早川の陣しっかり見えます。
石田、島の陣もしっかり見えます。
歴史を感じます。
説明書や記念碑以外何も無い印象ですが、駐車場は無料、左手の細道を進んである公衆トイレがウォシュレットで綺麗でした。
広場がトイレの前にあります。
ゴールデンウィーク中でもガラガラでした。
政治的に優秀な人と思います。
しかし、キリシタン大名として先は無かったのではないだろうか。
9月15日、東軍の田中吉政、筒井定次らの部隊と交戦して奮戦する。
しかし小早川秀秋らの裏切りで大谷吉継隊が壊滅すると、続いて小西隊・宇喜多隊も崩れ、行長は伊吹山中に逃れた。
西軍、小西行長の陣跡地です。
豊臣家の家臣として有名を馳せた人物です。
関ケ原でも奮戦した方です。
石田三成陣地と合戦場が臨め、戦国時代へトリップ。
ひっそり佇んでいました。
関ヶ原開戦地の近くにあります!開戦地史跡の少しの奥に!
トイレ、無料駐車場有り。
ただ道のりは狭く、ここもまだ、開発中と言った感じ。
所々の藪、溝、暗がりが気になる。
子供や一人歩きの歴女も居るだろうし…平日の閑散時は注意が必用だ。
都会人の老婆心だろうか?
島津義久の陣近くにあります。
ここにトイレもあり、ボランティアツアーの際はトイレで重宝する場所です。
車で来るのはかなり大変で徒歩や自転車での訪問が最適です。
小早川秀秋や石田三成と違って、低いところに陣地を設定するのは勇気が必要です。
戦いは高地が有利ですから。
小西、島津、宇喜多の陣からも小早川の陣しっかり見えます。
振り返れば、石田、島の陣もしっかり見えます。
小早川の反逆?をそれぞれが、どの様に目にしたのだろうか?振り返りながらも、己がする事のみ、貫くしか無かったのだろうけど・・・。
なんて、ジュースを飲みながらの、秋の空の下でした。
良く 保存されており説明坂もありますよ。
1年前に訪れた時より陣跡の後ろの木がほぼ切り倒されて、見晴らしがすっきりしています。
ここから笹尾山の三成、近くの島津義弘の陣跡も見渡せます。
公衆トイレはある。
キリシタン武将。
小西行長は切支丹(アウグスチノか)大名、堺商人出身で、水軍を持っていた。なので渡海の必要な”文禄の役”では、先鋒軍(第一軍団)として大活躍した。加藤清正との先陣争いに、勝ったことは有名な話。関ヶ原では宇喜多氏に仕えていた縁で、秀家の隣りで奮戦する事になったのか。持ち場的には大激戦地。身代(宇土20万石)以上の兵数を揃え、能力値の高さを示した。この事は、西軍の武将達が認めていたからこそだろう。戦国史に登場するのが遅かったのが災いして、戦国ファンにイマイチ人気がないよねェ~。もっと評価されても、いい武将だと思う。そう、有能過ぎたから家康に首切られちゃったんだよ。西軍で、石田三成、安国寺恵瓊、そして小西行長さん。 この三人だけだろ。共通するのはとにかく切れ者で、実務能力抜群!て事だ。大筒、鉄砲隊ズラリ揃えた近代的な軍団(傭兵集団だったかも)と想えるのだが、人物イメージが商人出身て事で、色々損をしているのかなぁ。でも、それを言っちゃえば、三成も秀吉もねぇ。ホントに有能でリノベーション武将は、武家以外から登場するのでは、無いかな?
名前 |
北天満山・小西行長陣跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.sekigahara1600.com/spot/konishiyukinagajinato.html |
評価 |
3.7 |
島津義弘陣と宇喜多秀i家陣に挟まれた池寺池手前の開けた所に有る小西行長陣跡。
元々商人であり戦は余りの印象があったのですがWikiでは早くから水軍や大部隊を指揮して肥後半国を治め文禄慶長の役で活躍した、加藤清正隊は2番手で損害は少なかった、戦後徳川家康にむしろ接近するも石田三成の説得と宇喜多家に対する恩、加藤清正との確執で西軍に加わるも朝鮮出兵の影響で2900しか兵を動員出来なかった事も影響し敗戦熱心なキリシタンであったため切腹せず斬首。
子孫が戦後プロ野球初代王者松竹ロビンス監督の小西得郎氏とか(自称)