木部を鉄板で覆っている事から鉄門(くろがねもん)と...
各務原市指定重要文化財。
大垣城本丸の表口に建てられていた鉄門。
明治9年に安積家が払い下げを受け自宅門として使用してきたので「安積門」とも言われている。
平成21年に鵜沼宿の駐車場の一角に移築。
構造は。
間口5.7mの高麗門で、同様に高麗門で鉄板が張られたものは、名古屋城表二之門と大阪城大手門の2か所に残されている。
【大垣城 鉄門(くろがねもん)】この門は、平成21年(2009)に安積(あづみ)家から 各務原市に 寄付され、『鵜沼宿』に移築されています。
移築前は、岐阜市の加納城の門か?と思われていたが、移築に伴う解体調査の結果、土台に墨書が発見された。
◎「四月十二日土台入れ」と書かれ、江戸末期の大垣藩大工奉行ら11人の名前が記載されており、門の鬼瓦には、大垣藩主・戸田家の紋「九曜紋」もあり、市は大垣城の鉄門だったと断定。
【大垣城 本丸の門】であったことが分かった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー大垣城 本丸の表口に建てられていたもので、明治九年(1876)に払い下げられて、安積家(各務原市蘇原野口町)の自邸の門として使用され、地元では 通称『安積門(あづみもん)』と呼ばれていた。
高麗門と呼ばれる型式の門。
正面には短冊状の筋鉄(すじがね)が張られている。
このような種類の門を鉄門と呼ぶ。
大きさは、幅約5.6m、高さ約3.6m。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー平成22年3月1日 各務原市指定重要文化財。
大垣城にあった門を移築し保管戦闘時の耐火性を考慮し鉄板で正面を防護してあるまた軒下部分を漆喰で塗り固めてある作り間近に見る事が出来る為、中々面白い物を感じた本門は個人所有されていた物が寄贈されたらしく歴史の流れを感じる事が出来る鵜沼宿に寄った際には見ても良い場所。
この門の構造形式は高麗門と称されています。
高麗門とは、左右二本の本柱上部に小ぶりな切妻造の屋根を架け、更にその後方に控柱を立て、本柱から控柱に渡して小屋根を架けた門のことで、主に城門として用いられてきました。
間口約5.7m、高さ4.5mほど。
駐車場横にあります。
(駐車場は車イス用が1台分あります)駐車してこの門をくぐって中山道鵜沼宿に入って行くのは雰囲気が出て良いです。
この鉄門は各務原市内の安積さんが寄付したもので「安積門」と呼ばれていたりもします。
旧大垣城鉄門の鉄は当時のままの鉄と現代修繕した鉄が使われています。
パッと見は言われなければ分かりませんが、目の前の「中山道鵜沼宿町家館」のボランティアガイドさんに伺うと違いを詳しく教えていただけます。
(開館時間は9:00〜17:00 月曜定休日、祝日の場合は翌日となっていますが、別にも平日休館される事がある様なのでチェックされてから来訪される事をオススメしたいです)
大垣城本丸の表口に建てらた門で、構造形式から高麗門と称され、火矢による攻撃から門を守るため、木部を鉄板で覆っている事から鉄門(くろがねもん)と呼ばれている。
同様の鉄門で現存するのは、名古屋城表ニ之門と大阪城大手門だけだそうです。
原始的構造の自動扉(閉扉のみ)が見ものです。
所在地:中山道鵜沼宿町屋館の道路向かい側 (案内板より転記) 安積門(旧大垣城鉄門) 当門は、大垣城本丸の表口に建てられていた鉄門(くろがねもん)で、明治九年に払下げられた後、安積家(あづみけ)(各務原市蘇原野口町)の自邸の門として維持されてきたことから、「安積門(あづみもん)」と呼ばれています。
各務原市へ寄付され、平成21年に当地に移築されました。
規模は、間口約五・七メートル、高さ約四・五メートルあり、構造形式から高麗門と称されます。
高麗門とは、左右二本の本柱上部に小振りな切妻造の屋根を架け、さらにその後方に控柱を立て、本柱から控柱に渡して小屋根を架けた門のことで、主に城門として用いられてました。
当門のもう一つの特徴は、正面の木部を全て鉄板で覆い、軒下を白漆喰で塗籠めている点で、これらは火矢による攻撃から門を守るためと考えられます。
当門と同様に、高麗門に鉄板を張った遺構は、名古屋城表二之門、大阪城大手門(二之門)の二例が現存しています。
大垣城の鉄門がここに残っているとは思いませんでした。
名前 |
旧大垣城鉄門 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.city.kakamigahara.lg.jp/kankobunka/1010039/unuma/1004978/1004997.html |
評価 |
3.9 |
元は大垣城の本丸にあった門らしい。
ここに買い取られてたおかげで二次大戦で被災せずに済んだ。