首実検を行った風景が目に見える雰囲気。
岐阜関ヶ原古戦場記念館から近く、歩いて1分程で行けます。
関ヶ原合戦開戦前に最初、陣を張っていた桃配山からこちらの場所に移動した場所であるとの事。
この先約1キロ先には笹尾山に陣を張っている石田三成の陣があります。
実際自転車で移動すると思ったより近く前線は激戦であった事が思われます。
ここから石田陣地まで歩いて実感しました。
ここまで家康(総大将)に出張ってこられたら東軍も必死になるわと。
石田陣の目と鼻の先です。
と同時に島津陣の目と鼻の先でもありますので、そりゃ突撃されたら冷や汗も出るでしょう。
現地に行って実感できることは多いです。
こちらは家康の最後陣地で床几場。
自ら首定めをした場所で戦死者の山が築かれた所との事。
隣に護國霊苑と、神社があります。
松平忠吉の陣地に行きたくて、訪ねてみました。
徳川宗春ゆかりの鳥居、社などが周りにあり神妙な感じの場所でした。
首実検を行った風景が目に見える雰囲気。
バイク二人旅。
記念館の直ぐ近くにあります。
38みねちゃん。
天下分け目の大戦があった場所なだけに すごくパワーを感じる場所 関ヶ原古戦場記念館はオススメ。
陣地なのでなにか形で残ってるわけではありませんし、なんのことない芝生ですが、当時は戦場で昔に想いを馳せる。
そういう場所です。
慶長5年9月14日夜、石田三成が大垣城を出陣、関ヶ原へ移動との報を受けた徳川家康は、当初、縁起をかついで桃配山に陣を敷きます。
9月15日の夜中に美濃赤坂を出立、早朝に桃配山に到着します。
鶴翼の陣を敷く万全な西軍に対し、徳川秀忠率いる本隊を信州・上田攻めで欠く東軍でしたが、東軍・福島正則対西軍・宇喜多秀家の戦いで皮切られた合戦は、午前中にはすでに両軍が放った鉄砲の煙で、桃配山からは戦況が掌握しづらくなっていました(当時の日本は、世界一の鉄砲保有量を誇っていました)。
そこで、徳川家康は、大胆にも石田三成陣取る笹尾山が目と鼻の先となる地へ、本陣を移します。
これが「徳川家康最後の陣」で、南宮山の毛利秀元が背後を付けば挟み撃ちに合うという不利な場所です。
しかも北国街道沿いの平地で、本陣とするには不利な場所だったと思われますが、東軍の将兵を鼓舞するためか、背水の陣的な場所に陣を構えているのです。
南宮山に陣取る西軍・毛利秀元隊など3万3000の軍勢は、内応済みの吉川広家に道を阻まれて参戦できず、さらに内応を約していた小早川秀秋隊1万5000が東軍に寝返ったこともあって、形成は一気に東軍有利へと傾きます。
数でまさるという状況のなか、あえて、前線近くに陣取った徳川家康はこの時、59歳。
さすがに人心掌握には長けていたことが、この陣地取りからも推測できるのです。
徳川家康最後の陣跡の中央の土壇、周囲の土囲いは1841(天保12)年、幕府の命により、この地の領主・竹中家が築いたもの。
なお、この地で首実検をした後、首を埋葬した首塚は関ヶ原駅近くに現存しています。
開けた場所。
芝生が気持ちいい。
このあたりで討ち取った首の数で戦績を評価したとか。
すさまじい。
家康公は合戦で大勝利を納めた後、ここに床几場を設け、論功行賞の判断材料となる敵将の首実検を行ったそうです。
古戦場の直ぐ横に家康最後の陣跡がありました。
10年近く前に東京から自転車で兵庫県の豊岡市へ移動したときに寄りました。
当時は無かった大きなミュージアムがありすっかり風景も変わっていました。
全く記憶があてにならないなぁなんて事を思った良い思い出の地です。
広場が芝生でもう少し暖かかったらきっとのんびり過ごすのに良い場所でしょう。
伊吹山登山の帰りに石田三成の陣の跡地とともに行きました。
徳川家康最後跡地は今ではイコール岐阜関ヶ原古戦場記念館です。
いずれも関ヶ原の合戦を知っているのであれば感慨深い場所です。
行く予定のある方はぜひ概要でもよいのでインプットしてから訪問くださいね。
二つの場所は時間にして車で5分かからないくらいです。
行くなら絶対二つ行くことをおすすめします。
当時を想像しやすいのは、石田三成の陣の跡地の方が手が入っていない分、軍配が上がります。
あの時、こうであれば、歴史は変わっていた!なんて。
そうなるともちろん我々も生まれていない可能性が高いんですけどね(笑)
いくつの首が持ち込まれて、何人で何時間かけて身元確認したのでしょうか。
凄まじい光景だったのでしょう。
厭離穢土欣求浄土、戦は怖いし嫌だけど戦に勝たないと終わらない。
家康の戦いは浄土を求めての戦いだったと言えるのでしょうか?旧跡巡りの最後の方に訪れるのが良いと思います。
陣場野公園内にある徳川家康最後の陣跡徳川家康旗験識所、床几場徳川家康進旗験馘處の石碑があります。
合戦後、討ち取った敵の首級が実検された地です。
各陣所を廻って、最後に観に来たが…正直飽きた。
さんざん戦国ロマンに意識を飛ばして、妄想して来たせいか、どれも薄味で自分の戦国食には、スパイスが足りなさすぎた。
最後のデザートが公園か…と、 銅像群とまでは言わないが、何か驚派手な盛り付けも欲しいなと思うパンピーな私で、関ヶ原観光が終わった。
関ヶ原の戦いが終わり家康が首実検を行った場所です。
どことなく物悲しさを覚えるのは私が関西在住だからでしょうか。
駅から歩いて訪れている方には、辺りに首塚があることに気付かれるかもしれません。
興味のある者同士で行くと話が尽きなくなりますので、ご注意下さい(笑)
江戸時代に神聖な場所とされただけあってよく整備されています。
家康がここに陣を移した以上、本多忠勝はどこに陣を移したんだろうと考えていました。
主君の後に陣を置くなんて考えられませんからね。
ここからでは戦いの様子はまったく見えません。
陣を移す前に勝負は決していたと考える方が筋が通ります。
いずれにしても3万の直属兵は最大勢力ですね。
平野での戦いとなればランチェスターの第2法則は使えません。
綺麗に舗装されているが、関ヶ原の戦いを象徴するものがいくつもあり、勉強になる。
敷地が広く、落ち着いている。
いやー家康は勇者だわ。
督戦のために桃配山からこの最前線に本陣を移動させたのだが、退路が全くない。
後ろは西軍の大垣城と南宮山に毛利の大軍がいて二重に街道は塞がれており、前の北国街道は西軍を撃破しない限り通過不能。
負けたら退却もできず壊滅するしかない。
ここに布陣した以上勝つ以外の選択肢はなく、家康の非常の覚悟のほどが伺えるし、その気迫の差が勝負を分けたのではないかな。
誰もが知っている天下分け目の合戦「関ヶ原の戦い」(1600年)。
徳川家康は、当初の苦戦に苛立ち、本陣を桃配山から、石田三成の本陣・笹尾山のすぐ下(直線距離で500~600m)のここへ移動させました。
ここから、松尾山に陣取る小早川秀秋に発砲を命じ、裏切りをさせ、関ケ原合戦を勝利へと導いた、というわけです。
戦いの後は、ここで、引見が行われ、討ち取ってきた敵の首実検がおこなわれました。
JR関ケ原駅からすぐそばで、今は「陣場野公園」と呼ばれる緑豊かな場所にあります。
徳川家康最後陣地は、合戦当時の風景に思いを馳せることができる場として整備されました。
整備の基本方針として、史跡に関係ないものは撤去・移設し、床几場の存在を顕在化。
天保12年に竹中家が整備した床几場と周囲の松を保存・保全しながら、往時の風景に思いを馳せる史跡公園として整備されました。
主な整備内容は以下6点です。
○ エントランス部分の土系舗装及び車止めの設置○ 腰壁兼ベンチの設置○ 広場の見通しを阻害する樹木の伐採○ 史跡に関係のない噴水や遊具等の撤去○ 芝生の整備○ 史跡案内サインの設置(徳川家康最後陣地・床几場)
関ヶ原は良いところですね。
一日どは足りない。
家康が何故に最後にここを陣地に?
家康最期陣地と記して有るだけで他には何も無い所です。
・・家康は自分の最期の地とも知らず どんな壮大な志を胸にし ここに立っていたのかと…思いを馳せました。
民俗資料館のとなりに公園みたいな中に石碑があります。
個人的意見ですが、ここは最初に訪れるとなんだかわからないので古戦場やら各武将の陣跡などを見終わった後に来るといいかもしれません。
ベンチ等腰かけられる物が欲しいな。
関ヶ原に於ける三箇所目の家康本陣跡。
東軍督戦の為に、自陣を押し上げたのだ。サッカーで言う所のパワープレイだな。勿論、裏を取られるとオワタであるが、金扇の馬印を西軍に見せ付けたかった! 見た目で圧をかけ、西軍の動揺を誘ったのだろう。
特に松尾山に見せ付け「小童! 戦はもう、終わるぞっ!」とブラフかました。老獪古狸の面目躍如てとこだな。やっぱ格が違うのだな。に…しても、ココつまんねー公園(´д`)ڡだねェ~。もう少し工夫して、何とかならんかな。
神社や石碑はあるんだけど、ランドマーク的なものがないのが観光地として弱いな。
歴史博物館の入館料(300円!)を支払うだけで地元のガイドさんが二時間つきっきりで古戦場跡を歩いて案内してくれるというツアーに参加し、最後にまわった場所です。
江戸末期に徳川の威信を再興させようと整備され、参勤交代時に必ずこの地を訪れるようにさせたとのことです。
首実験もこの場で行われたとのこと。
歴史博物館は見応えばっちりです。
実際の場所で関ヶ原の戦いを距離感などわかってよかったです。
名前 |
徳川家康最後陣跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0584-43-1112 |
住所 |
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関連サイト |
http://www.town.sekigahara.gifu.jp/secure/4454/Epson_0214.pdf |
評価 |
4.1 |
関ヶ原の戦いの東軍の徳川家康の最後の陣地跡。
ここで首実検をしていたかと思うと歴史ファンにとってはほんとうに感慨深いスポットです。
特に何があるわけでもなく石碑くらいですが石田三成との実際の距離感などが分かり歴史ファンにはたまらないスポット。
関ヶ原歴史ミュージアムのすぐ隣です。