関ヶ原の戦いでは島津藩の本陣だった場所。
9/11参拝樹木に囲まれ良い。
当社の創建年紀は不詳なるも、慶長五年九月十五日関ヶ原合戦の際には関ヶ原町大字関ヶ原字西甲斐墓1950番地の丘陵に祀られてあったので、島津維新は陣地としても好適の地であるのでこの神社の境内を本陣となし、戦勝を祈願し、その前出している清水を軍用水として使ったので、今でもこれを薩摩井戸と称している。
嘉永六年火災にあい、都合あて隣地の字神田1874の1番地に移転したが元の礎石は尚薩摩井戸の側に残っている。
神田の地名はこの神社の関係地であり、又この神社の西に池寺池と称する関ヶ原役以前からの古い池がある。
領主五千石の旗本竹中?」山公の御代藩の養魚場となされたことがあり、度々御視察の際には御参拝且つこの境内でお休みになったと伝えている。
惜しい事に慶長以後の棟札が残っていたが、嘉永六年の火災に焼失してしまった。
島津陣地に隣接しています。
島津義弘の陣場。
ご祭神は天照大御神。
神社の裏手に、関ケ原合戦時 島津義弘が構えた陣跡がある。
人気が少なく木々に囲まれ、それほど大きくない神秘的な雰囲気が漂う。
去年の10月にここでヤマビルの襲撃にあったので、時期によっては注意必要です。
まさかこんな人里にまで生息域を広げていたとは…
島津陣跡の神社。
去年の10月にここでヤマビルの襲撃にあったので、時期によっては注意必要です。
まさかこんな人里にまで生息域を広げていたとは…
元々は雨乞いのために建てられた神社なのですが、関ヶ原の戦いでは島津藩の本陣だった場所。
うっそうとした森の中にあり、神々しいカンジでした。
負けちゃったけどね。
木々に囲まれ清々しい。
裏手は島津隊陣跡。
名前 |
小池神明神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
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木々で木陰になった場所にあります。