笹尾山を登った小高い所に陣跡があります。
笹尾山・石田三成陣地跡 / / .
駐車場あり5分ほど階段をのぼると展望台があり、関ヶ原全景が見渡せます。
山頂に各陣跡がわかる地図や音声ガイドがあるので、当時を想像しながら見ると、何だか感慨深い気持ちになります。
関ヶ原は数十年ぶりに訪れましたが、こちらの側には笹尾山交流館など出来ており、大河ドラマで盛り上がってます!
笹尾山山頂に登るのは5分程度でしたが足が少し疲れました。
石段、足場が良いとは言えないので足が少し弱い人は杖など用意されたほうがよろしいと思います。
登ると関ヶ原を一望でき、景色を見ながら諸将の陣地も分かるようにされています。
一度は訪れたい場所でしたので満足できました。
時間の都合上、ここしか寄れませんでしたが次の機会があれば、じっくり周りたいと思います。
石田光成軍の陣跡であった、笹尾山。
石田三成軍の象徴である大きなのぼりも見えます。
そちらを目掛けていくと、遠方からでも一際目を引く、木製の策が!!関ケ原の戦いを想起させる、大規模な柵だということが分かります。
近くに行ってみてみたいという気持ちが湧いてきますね☆こちらの木製の策がある部分には、駐車場から階段を少し登ると行くことができます。
二重の柵になっており、カッコイイです!!こちらは、石田光成軍の陣地でありましたが、石田三成軍の中の島左近の陣地でもありました。
さらにそこから登ること、10数分。
石田光成軍の本陣地であった、笹尾山の山頂に登ることができます。
緩やかな山道であるため、小さなお子様でも登ることができると思います。
山頂からは、関ケ原の町を一望できます。
石田三成は、そのような一等地に陣を構え、戦いに臨みました。
また、笹尾山の目の前には、関ケ原の戦いの決戦地を目前に見ることができます。
笹尾山の石田三成軍本陣地跡に立ち、関ケ原の町を眺めると、石田三成もこの景色を見ていたのだろうな…と思いをはせることができます。
様々な気持ちで戦いを見ていたのだろうなと考えさせられます。
こちらの笹尾山は、石田三成の居城であった滋賀県彦根市の佐和山城へも出やすいという土地でもあるため、戦いが不利になった場合に、逃げることができることも考えられていたと言われています。
少し登るだけですが、とても綺麗な景色を楽しむことができます。
リフレッシュできること間違いなしです。
駐車場:ありトイレ:あり。
関ヶ原の戦いにおける中心人物?石田三成公陣地跡JR関ヶ原駅から可也歩き、そう標高の高い山ではないものの険しいのか皆ゼイゼイ言いながら登ります。
舞台の様な箱台に旗印・柵・解説パノラマ板も有ります、見晴らしも良く此処に陣を敷くという事は可也有利になるので予め予定していたのではないかとも思いましたが最近のネットでの色々を読むと結構後になって書かれた資料が定説になっている部分があり果たして西軍は本当に石田三成が中心人物だったのか、西軍有利で伯仲している所に小早川秀秋が裏切った?最初から裏切っていて午前中午の刻12時ぐらいまでに勝敗は決していた説有。
無料駐車場の前にある島左近の陣から5分ほど登った所にあるのが石田三成の陣。
多数の旗と陣幕がありよく合戦の雰囲気が伝わってくる。
一つ感動したのが石田三成陣の石碑に捧げられたお賽銭が硬貨毎に分けられていたこと。
家康の陣ではゴチャマゼだった。
これも治部殿の御遺徳故か。
決戦場からさらにチャリで走って1〜2分、徒歩では5〜10分程です。
チャリは停めて少し丘を登りますがすぐに着きますので是非登りましょう。
簡単な展望台と解説音声や写真もありますが、知識のある方は不要でしょう。
椅子もありました。
この地から石田三成はどのような思いで東軍を見ていたのかと思うと胸に迫るものがあります。
現場は行ってみるに限ります。
関ヶ原の戦いがよく理解できました。
暗記ではなく理解できる歴史の勉強って面白いですね。
レンタサイクルで陣跡巡り。
少し長めの階段を上がり、島津陣跡を睨みます。
そして島津は何故動かん!これで三成の気持ちになれますw
石田三成の旗が立っておりいい感じ。
頂上は見晴らし良好です。
徳川家康の陣地はあそこで小早川秀秋の陣地はあそことわかる場所。
石田三成は戦下手であったらしいが笹尾山のこの場所に陣取したのはセンスあるように思えます。
ほんの数キロの範囲なのに、名を残す大戦『関ヶ原』西軍大将の石田三成の陣地です。
下にある無料の駐車場から約100段ほど登った所にあります。
上には他の武将がの陣地が書き込まれた地図もあり、見た目で体感できます。
地図にあるボタンを押すと音声ガイドが流れ説明してくれます。
歴史好きにはたまりません。
決戦の地の碑からすぐ。
前に大き目駐車場があります。
高台にありますが、階段を上って5分ほどと大して体力は必要ありません(ご老人にはきついかも)。
ここから見渡す景色まさに絶景。
光成が見た合戦の様子が目に浮かびます。
関ケ原まで来たら、是非訪れてみたいスポットですよ。
これに対し、家康の最初の陣もあるようです。
出来たらセットで見た方が良いかも。
やはり関ヶ原といったら、まずここから訪問していただきたいです(好き嫌い抜きで)。
物理的には、単なる田舎ですが、江戸幕府誕生のポイントになった場所であり,同時に、ここに沢山の血が流れたという、歴史に記されない事実も、ほんの少しでいいので感じてほしいと願います。
(三成の旗指物:大一大万大吉ですけど、この意味はとてもシンプルです。
1人は万民のために、万民は1人のために尽くせば、みんなが幸せになる、という意味です)。
徳川家康が主役のように歴史が動いてますが、私は石田三成の豊臣を守る意思には感服します。
陣地から戦場を見下ろすと布陣全体が分かります。
裏切りなどがなければ圧倒的な布陣ですね。
人の心とはなんとも言えないです。
島左近の陣地がすぐ下にありますが、過ぎたるものの一つと言われますが、大谷吉継もそうではないでしょうか。
「石田三成陣地」ドライブの途中で立ち寄りました。
憧れの場所だったので行けてよかったです。
関ヶ原の戦いでの西軍の大将「石田三成」が陣を敷いた低山です。
山と言っても10分程のひと登り。
頂上(陣跡)からは関ヶ原の盆地が一望。
三成の気持ちに成って眺めるのも感慨深いと思います。
戦場の北西に位置しているこの場所は、全体を見渡すことができるし、向かいの松尾山に陣を敷き、寝返るかもしれない小早川秀秋に対して睨みを利かせることもできたという場所です。
石田三成の陣地跡の笹尾山。
駐車場から徒歩で山頂まで約5分ではありますが、かなりの急勾配を登ります。
結構、息が上がりました^_^;展望台には案内ボードが有り、解説を音声で聞くことも出来ます。
関ケ原合戦において石田三成は関ケ原を一望できる笹尾山に、島左近とともに陣を敷き、西軍を指揮しました。
関ケ原は古代より交通の要所といわれており、中山道とともに、笹尾山の麓を通過する北国街道も軍事上重要なポイントとなりました。
現在は国指定史跡となり、古戦場全域を見渡すことができる絶好のビューポイントとなっています、合戦時に笹尾山からこの景色を見て、石田三成は何を思ったのだろうか。
頂上まで登るのは10分くらいでした。
正面と横から上がれます。
登ると展望台に音声ガイドがありました。
関ヶ原を一望でき、ここなら戦いの様子がよくわかっただろうなと推測できます。
石田三成はここから指示を出したんですね。
これだけの土地に、15万の兵士が集まっていたとは驚きです。
関ヶ原駅から徒歩で25分くらいで着きます。
ここから眺めれば関ヶ原の戦いの地理的状況がよくわかります。
電車で通るなら途中下車して散策してみるのもいいと思います。
笹尾山麓から見晴台まで徒歩数分、山城に比べれば全然なんてことないですが、ヒールで登るのはあまりお勧めしません。
南側からなら登れなくはないですが、しんどいかと。
歩ける方は、南側から登って、北側へ降りられるといいと思います。
若干急ですが、東側の島左近陣地へ降りてこられます。
駅や陣場野(古戦場記念館あたり)から歩いて来れない距離ではないです。
が、他も見て回りたいなら車かレンタサイクルが良いかと思います。
駐車場は南側か、道を挟んだ東側の旧関ケ原北小(現笹尾山交流館)の運動場だったところがありますが、イベント開催等で解放されていない事もあるので注意。
戦国ファンには聖地だけど…。
平日…うん、イベントが無いと只の展望台だなぁ、近所の人がウォーキングしてる横で、なんとか合戦時に意識をタイムリープ!!~~東軍も西軍も頑張れ💥頑張れ関ヶ原、関ヶ原ばんざーい。
…おっとあぶない、弁当落とすトコやった。
追=ヘビ出るから気をつけて。
歴史好きだったら一度は来るべき場所来週10月22日から記念館?オープンしてまだまだ見どころ満載になります(2020・10・14)
☆9月21日に行きました。
広い駐車場から少し歩くと見えます。
伊吹山を登った後なので、足が痛くて長い石階段は上がらず、外観の様子を撮りました。
石田三成の人跡の前にいた、右腕の島左近さんは気さくでお話もされポーズをとってくれますし、一緒に写真を撮るのも良い記念になりました。
関ケ原 笹小山交流館もあるのでスタンプやお土産を買うことができます。
石田 三成(いしだ みつなり)は、安土桃山時代の武将・大名。
豊臣家家臣。
佐和山城主。
豊臣政権の奉行として活動し、五奉行のうちの一人となる。
豊臣秀吉の死後、徳川家康打倒のために決起して、毛利輝元ら諸大名とともに西軍を組織した、決起した西軍は7月18日、家康家臣・鳥居元忠の守る伏見城を包囲。
8月1日に城は陥落する。
8月に入って伊勢国に侵攻した西軍は伊賀上野城、安濃津城、松坂城などを落とすが東軍の西上の動きを知って美濃方面へと転進。
こうして東西両軍は関ヶ原で相まみえることになる。
関ヶ原に来たら必ず寄ります。
風がいつ来ても強く、気持ちいいです。
いま7月ですが、コスモス咲いてました。
春に来たかったのですが、新型コロナのせいで断念しました。
来年こそは桜の季節に来たいです。
島左近陣地から上に登っていくと(ちょっと山道)、石田三成陣地に着きます。
展望台では関ヶ原の戦いの説明を聞きながら古戦場を眺めることができます。
近くに決戦地があるのでそこまで歩くのもいいですね。
有名な関ヶ原古戦場、なのに意外と皆さん行ったことがない。
一度、足を運んで陣屋から関ヶ原を一望してみては。
天下分け目の戦いがリアルに感じられるかもです。
日本の運命を分けた戦争の一つで石田三成が見たその空と戦場を見ることができた今は静かな田舎町だが、このような雰囲気が戦場の感じを知らせてくれた。
外国人だったが、案内してくれて手伝ってくれた関ヶ原の住民分科案内所職員さんに心から感謝します。
駐車場から階段で登るとこの場所に辿り着きます。
ここには展望台や石碑、屋根付きのベンチなどがあります。
見晴らしは良く、木製の展望スペースには大きなパネルが有り、景色の写真にそれぞれの陣の場所が書かれています。
パネル中央下に赤いボタンがあります。
本来なら押すと音声(日本語の解説のみ)が流れるみたいですが、私が行った時は調整中でした。
階段には手摺りがありますが、段差の奥行きの幅が何らかの都合で中途半端に大きく、微妙に歩幅と合いにくいです。
手摺りを持って上り下りする方が良いかもしれません。
また、下には杖が用意されていますので、それを利用する事も可能です。
天下分けめの関ヶ原。
石田三成の陣跡。
場所までの道は細いですが、駐車場はとても広いです。
そしてその駐車場の横が島左近の陣跡。
そこから笹尾山を登って行くと石田治部少丸三成の陣跡。
陣跡には眼下の風景に布陣していた東西の武将の開設図もあり、教科書で学んでいた史実がリアルに感じられます。
現地で驚くのは東軍陣営との距離感。
ほぼちょっと走れば着くところに東西名だたる武将の陣地があり、この距離感で戦をしていたのかと思うと、ただただ驚きしかありません。
それにしてもこの絶好の布陣場所で自分の敗戦を眺めていた石田三成の気持ちを考えると、なんとも言えない気持ちになります。
勝てば官軍 負ければ賊軍 負けて散々たる酷評。
本当に悔しい。
負け戦にはてを出すべきではないけど〔義〕に生きた武将だからこそ❕ 相手に不足はない 戦は百戦錬磨の狸だった。
最後は逃げた?ではない、自ら捕らわれても、生きる執念〔命有る限り、最後の最後までおのれの敵を倒す事を目指すことこそ将の心である。
〕・何か欲しい 物は有るかに対しての返事は〔狸の首〕と答えれる執念・羽織もらい、小西行長と安国寺恵瓊は泣いていたが三成公は〔これは誰からだ?〕に対して上様からだ、〔上様とは誰だ?〕に対して江戸の上様だ、〔上様とは豊臣秀頼公しかおらん〕と言って返せる心。
本当に凄い⤴⤴武将だ。
真面目・几帳面・義に生きた武将・正々堂々‼❗ 大一大万大吉❕一人はみんなの為に みんなは一人の為に 尽くせば 幸福になれる。
笹尾山を登った小高い所に陣跡があります。
自動車を停められる駐車場も多数用意されています。
西軍東軍ほぼ全軍が見渡せる所で陣立自体は素晴らしいところです。
行ってみると三成の戦術眼の素晴らしさがよく分かりますし、いかに狭隘な地で天下分け目の戦いが行われたか実感できる素晴らしい史跡です。
ただ結構な階段を登っていくので足腰注意ですが、晴れた日は西軍総大将の気分になれますよ!
名前 |
笹尾山・石田三成陣地跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.2 |
関ヶ原の戦いの西軍石田三成の陣地跡。
そう思うと歴史ファンにとってはほんとうに感慨深いスポットです。
陣は小高くなっていて戦場の様子がしっかりとわかる場所。
ここで石田三成は戦況を見ていたのかと思うと本当に何とも言えない気持ちになりました!歴史ファンには絶対に行って欲しいスポット。
ゴールデンウィークに行ったのでたくさんの人がいました。
無料駐車場があるので寄りやすかったです。