途中は狭いが、駐車するスペースあり。
県道215号「養老垂井線」に陣跡案内縦長看板が出ていますので分かりやすいです。
(3年以上前などの一部クチコミの個人感想はともかく、看板関係なく全然判り難い程ではありません、単にMAPの確認不足です)細い道をそのまま直進すると直ぐ、空地の旗が目印です。
敷地は広いので駐車できますが、シーズンによってカエル🐸を踏み潰さないよう注意してください。
少しでも雑草が生えてる場所は炎天下でも潜んでいますゆえ注意です。
💦関ヶ原の戦にて『毛利秀元・安国寺恵瓊・吉川広家』と共に南宮山に布陣する。
合戦前『浅野幸長』と南宮神社付近にて交戦『池田輝政』とも銃撃戦を繰り広げたとも言われています。
ところが『徳川家』に内通していた『吉川広家』が『霧が濃い』『宰相殿の空弁当』が理由として全く動かず通せんぼしていた為に『秀元・恵瓊』と共に『正家』も『石田三成軍』の本戦に出撃できず仕舞い。
やがて『小早川秀秋』の寝返りが引き金により西軍が壊滅すると居城・水口城へと撤退したと言われます。
その撤退時、『島津義弘・島津豊久・長寿院盛淳』の敵中突破である『島津の退き口』を助けるために、家臣を道案内のため派遣したとも言われています。
(南宮山「毛利秀元陣跡」裏手の西側「牧田川」北側【鳥頭坂・島津豊久碑】【牧田上野・長寿院盛淳墓】参照 【義弘】は伊勢街道(西・東いずれかで突破、養老山地・県道25号「二之瀬越」辺り、もしくは上石津町「五僧峠・保月集落」付近)
西軍巡りをしてました。
この場所から養老側は見晴らしも良く陣地には最適ですね。
特に、この碑以外には特に何もないです。
遠くて不便な上に分かりにくいが、桜🌸が綺麗。
分かりにくい!車のナビよりはGoogleマップが正解。
集落を抜けると急に現れます^^;
豊臣政権の五奉行の一人、長束正家の陣所😁南宮山麓に布陣した諸将同様、毛利隊が動けなかった為合戦に参戦することが出来なかった😅
広いスペースがある。
途中は狭く、案内板などもないので、わかりづらい。
途中は狭いが、駐車するスペースあり。
名前 |
長束正家陣跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
10/16 訪問 西軍豊臣五奉行の一人長束正家は兵数1500で南宮山の東麓に布陣。
毛利秀元に総攻撃をよびかけるも吉川広重の内応で動けず、退却した後に居城の水口城を攻められて自刃。