景行天皇は ここで八坂入彦(ヤサカイリヒコ)の娘で...
歴史的 遺産 心が洗われる場所。
御朱印は可児郷土歴史館にて。
地域の歴史が知れて興味深い。
歴史を感じられる乙な古墳。
山車の蔵もあり、ゆったり、落ち着きます。
歴史ロマンに、想いをはせては、いかがですか。
第十二代景行天皇は即位されて四年目の二月に美濃の国に行幸されました。
天皇は久々利の里に「泳宮」という柞(こなら)の木で造られた仮御殿にとどまられました。
従者たちが「この国の八坂入彦命の娘で、弟媛という大変美しくて優しい娘がおあります。
」と申し上げると、天皇はぜひ妃に迎えたいと言って、さっそく弟姫を訪ねられました。
しかし、驚いた弟媛は天皇にお会いすることを避けて、近くの竹林に隠れてしまいました。
そこで天皇は何とかして弟媛を誘い出そうと、一計を案じ、泳宮の大日の池に見事な鯉をたくさん放って、朝夕眺めて楽しんでおられました。
そうして鯉を見たくなった。
弟媛が姿を見せたところを、天皇は留められました。
天皇に心を開いた弟姫は「泳宮」で幸せな日々を過ごしました。
その後、天皇は都へ帰られることになり、弟媛を妃として一緒に都へ帰ろうと望まれました。
けれども弟媛には八坂入媛という姉がおりましたので、心優しい弟媛は、姉をさておいてはならぬとの思いから「みかどのお望みはまことにありがたいのですが、私はご覧のように容姿も良くなく、お側に長くお仕えできるような者ではございません。
ただ私には八坂入媛という姉がおります。
姉は容姿も美しく、心の清らかな娘です。
どうか私の姉を妃にお迎えくださいますよう。
」と申し上げたのでした。
天皇は弟媛の願いを聞き入れられて、姉の八坂入媛を都へ連れて帰られました。
八坂入媛は後の成務天皇をはじめ七男六女を生み、皇后の地位につかれました。
その後の天皇家は、景行天皇と八坂入媛との間の系統でお生まれになった方々が多いといわれています。
『日本書紀』より。
木陰でゆっくりできました。
トイレもきれいでうれしいです。
景行天皇は ここで八坂入彦(ヤサカイリヒコ)の娘である八坂入媛を妻にしたと伝えられている。
八坂入彦は、崇神天皇と尾張氏の大海媛の子。
天皇は、八坂入媛の妹、弟姫(オトヒメ)と泳宮で生活していたが天皇が都に帰る際、弟姫が一緒に帰ることを拒否し、姉の八坂入媛を推薦し、彼女を連れて天皇は帰ったという。
播磨稲日大郎姫崩御後、八坂入媛は皇后に立てられ、成務天皇を産む。
名前 |
泳宮のフウ |
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ジャンル |
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電話番号 |
0574-64-1120 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
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グーグルマップの案内通りに行くと、民家の私道に入ってしまうようです。
手前を右に曲って泳宮古墳から入った方が良いです。