そこから登りました。
展望がよく、有田川町(西有田)を一望できます。
もともと石垣城と言われましたが応永8年(1401年)外山城と改称し鳥屋城とも呼ばれるようになったそうです(外山→トヤマ→トヤ→鳥屋)。
築城は14世紀ごろ湯浅党の石垣氏が行ったと伝わり、室町時代・応永7年(1400年)に畠山基国が紀伊・河内両国の守護となり名島城(広川町)、岩室城(宮原町)と共に鳥屋城も改修されました。
室町幕府滅亡後は畠山氏が守護職に就くことは無くなりましたが、有田地域に所領を持つ有力領主として存続しました。
山頂の東西に長方形型の約400㎡の本丸跡、その南西1mほど低く約170㎡の二の丸跡などが確認できます。
畠山氏の重臣に神保氏がおり、主にその神保氏が鳥屋城の城代的な存在であったとされています。
天正13年(1585年)の豊臣秀吉の紀州征伐では、畠山氏は湯川氏(御坊市)等と共に豊臣軍に抵抗していましたが、仙石秀久、中村一氏、小西行長らに鳥屋城を攻められ、重臣の神保氏がいち早く豊臣方に内応し抗戦派を抑えたことで開城。
畠山氏の居城だった岩室城も同様に家臣の白樫氏が畠山氏の存続を条件に内応し城に火を放ち落城しました。
温泉目的で行ったついでに寄りました。
整備されてるので、サンダルでも登れましたが、『山頂まで300mu0026展望台』の看板の所から、道が悪くなります。
展望台には行けましたが、山頂は断念しました。
看板付近を色々探ってみましたが、道も細く滑るので、素直に帰りました。
行きはほぼ上り(下りは1回)40分くらいで、帰りは20分かからないくらいです。
スニーカーで大丈夫だと思います。
10分ほど登った所でベンチが4脚ありました。
そこで休憩するのがお勧めです。
5月最後の日曜日で、気温が30℃近くまでなりましたが、木々で直射日光を遮ってくれました。
車は、展望台から見えるグラウンド横の駐車スペースに停めました。
整備はされてますが、自動販売機などはありません。
金屋中学校の体育館の裏に登城口がありますので、そこから登りました。
ハイキングコースになっていることもあってか、よく整備されており非常に歩きやすかったです。
物見台跡と思われるところからは、海も見ることが出来、素晴らしい眺望でした。
金屋中学の小さな池付近に車を停めて、歩くこと45分。
城跡がありました。
石垣や土塁と見ていておもしろいです。
また有田川に沿って有田市内が見えてキレイです。
鳥屋城山頂は景色はよくなかったです。
歩く道も整備されて歩きやすかったです。
紅葉がキレイ。
道も整備され看板もあるので迷うことなく城跡に到着した。
城跡の近くにある展望台は海まで見えてとても見晴らしが良い。
登山口から休みながら登っても45分ぐらいで着くので手軽に行ける。
金谷中学側に、堀の様な、畑の様な、?。
さらに登ると、郭の様な、見張り台の様な。
分かりにくい。
その先は、かなり広い郭に。
郭のあっちこっちに、石積みが有りました。
城の、長さは、五百メートル位あります。
かなり長い。
見晴らしがいい。
名前 |
鳥屋城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
中学校裏の公園から城跡まで登山道がきっちり整理されています。
城跡単体では珍しいと思います。
城跡は細尾根城にあり本丸は山頂より西側に位置します。
主郭部に平面を確保するように石垣があります。
西に降りると土塁のある曲輪があります。
見所は本丸東側の岩場というか、切り立った土塁のある曲輪で(50°くらい!?)東側の段差も見事です。
さらに東に行くと山頂の曲輪で、降りると東側が眺望できます。