上野国神名帳「利根郡従一位・保寶明神」はこちらで間...
名前負け。
近隣の駐車所になっています。
御祭神 日本武尊 菅原道真公 波邇夜麻姫神 大山祇命 素盞嗚尊 大山咋命 櫛御気野命 誉田別尊 倉稲魂命 木花開耶姫命 沼田景泰公境内末社 白山神社 琴平宮 鹿嶋社 愛宕社 諏訪社由緒当社は利根沼田地方でも古い社の一つとされています。
社伝によれば、当社の創建は推古天皇の十九年(611)辛未二月、日本武尊四世の孫大仁鳥臣が沼田開発の際、記念として、利根川、碓根川(薄根川)の落合の沿岸に石宮を建立したことが、武尊神社の創まりといわれています。
言い伝えによれば、鳥羽法皇久安乙丑年(1145)二月、宮内左衛門が武尊神社の荒廃を憂い、時の領主の命を受け現在の社地に移したといわれます。
また河内神社の由緒記によれば、三峰山に河内神社を勧請した宮部右馬頭藤原義信の二男宮部源次郎義高は武尊神社の付近に居住し神職となり、その為この郷を宮辺と称することになったといわれています。
記録的には上野国神明帳に碓根明神と記録されている神社はこの武尊神社を指すものと推定されます。
また真田伊賀守の侍醫鈴木法橋は日本書紀を読み日本武尊に感動し「武尊」と書いてホタカと読ませ、寛文初年(1661)、下沼田の社に「武尊宮」と額書し以後ホタカの神は日本武尊であり武尊と書いてホタカと発音することになったといわれます。
以前は武尊神社の境内に約三百年を越える拾数本の老杉が亭々として聳え、いかにも村の鎮守の杜としての風格と威厳を備えておりましたが、誠に惜しいことに昭和三十四年(1959)の伊勢湾台風により全部倒伏してしまいました。
平成元年(1989)三月社殿の破損が酷いので関係者有志の方々の浄財の寄進により修復致しました。
(境内案内板より)境内富士塚境内の奥に高さ約 1.5m の富士塚があり、その上には朱色に塗られた木の祠が祀られています。
この塚はお富士様と呼ばれ、昔はまわりの他村を含めてお富士詣りが盛んだったようです。
お富士詣りとは男女を問わず七歳になった六月十五日に近くの富士山あるいは富士塚に登って祝う行事で群馬県北部で多くみられ、群馬県東部にみられる初山とともに子供の無事成長を祈る富士浅間信仰に関わる民俗です。
木祠の額には「浅間神社」、祠内の木板には「木花咲耶姫命」の文字が読めます。
(サイト「群馬県の富士塚を訪ねて」より)境内には三基の双体道祖神がならんでいます。
道祖神信仰の年代は、延享五年(1748)から嘉永七年(1854)の間で、道祖神は路傍の神、行旅の神といわれますが、本来は外界から集落内に入ってくるあらゆる厄災をさえぎり、退けようとしたもので、塞の神、障の神とも呼ばれ、群馬県では男女の双体像が有名です。
元々は中国の神ですが、日本の民間信仰の神である岐の神や猿田彦神と習合したり、地蔵信仰と習合したりして、だんだんと変化してきました、単体道祖神、文字道祖神、丸石道祖神、自然石、題目道祖神、双体道祖神等様々な種類があります。
(昭和村教育委員会HP参照)
参道左側の民家がぎりぎりまで迫ってますw
利根郡の中央部に聳える武尊山の山岳信仰により祀られてきた神社です。
祭神の日本武尊は、小臼命とも称され、武尊山には臼嶽と呼ばれる山があり、そこを水源とする川を薄根川(臼根川)といいます。
祭神は、案内板によれば、日本武尊、菅原道真命、波に夜麻姫神、大山祇命、素盞嗚尊、大山咋命、櫛御気野命、誉田別命、倉稻魂命、木花開耶姫命、沼田景泰公とのことです。
創建は、西暦611年(推古天皇19年)とされる古社で上野国神明帳に記されている碓根神社と比定されています。
名前 |
武尊神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
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