大川の川面が広がっている辺り。
「渡辺津から熊野街道へ」碑 / / .
天気が良い日は景色がいい。
Wiki他によると天満橋から天神橋の間、大川の川面が広がっている辺り。
後、八軒家浜と呼ばれ、船が割と自由に航行できる辺りだという。
「津」とは船着場のことだから多分ここだろう。
地勢は当時とはやや変わったが、渡辺橋の戦い(1332年)があったことから、ここに橋も架かっていただろう。
今はただ想像を巡らすだけ。
ぶらりと中之島を歩く締めくくりにはちょうどいいスペース。
来歴を知るまでは、熊野古道の起点といわれても、ピンとこなかったほど無知でした。
大好きな場所。
向こう側の桜並木や川がきらきらして、のんびり過ごせます。
夜がおすすめ。
ほっこりします。
平安時代後期(12世紀頃)から熊野参詣が盛んになった。
白河上皇や鳥羽上皇は鳥羽離宮(現在の京都市城南宮あたり)で身を清め道中の無事を祈願した後、京を出立。
淀川を舟で下って渡辺津(現在の天神橋のあたり)で上陸し、熊野街道を通って熊野三山(和歌山県)へ、往復一ヶ月ほどかけて参詣した。
熊野本宮・新宮・那智のいわゆる熊野三山への路は右図のように、メインルートの中辺路のほか、大辺路・小辺路・伊勢路があり、峠越えの古道を中心に、2004年世界遺産に登録されている。
江戸時代以降このあたりは八軒屋浜と呼ばれている。
いい場所です。
11~15世紀ごろ港として熊野参詣に利用された。
名前 |
「渡辺津から熊野街道へ」碑 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.7 |
渡辺津は現在の大阪市中央区天満橋京町辺りを示す様です。
八軒屋船着場跡が土佐堀通りにあるので、川幅はもっと広かったのではないかと、思いを馳せるのも良いものです。