徳川家康の養女の小松姫のお墓があります。
法蔵山 大蓮院 正覚寺 / / / .
駅からハイキングの一環として訪れました。
最後の訪問地です。
沼田城址公園から始まり、歴史資料館で真田の歴史を学び、最後はダメ押し的に、小松姫の墓があるこのお寺を訪問しました。
感慨深かったです。
御朱印はありませんでした。
立派な山門の美しい彫刻は必見です!真田正之公の奥方小松姫の菩提寺で墓所があります。
また沼田城を北条方に奪われた鈴木主水はこのお寺で立ったまま切腹して果てたと伝わっています。
うちのお墓のお寺沼田駅からだとエグい坂の上に位置しますので沼田駅からでしたら素直にタクシーかバスを使いましょう。
法蔵山大蓮院正覚寺。
浄土宗の寺院。
御本尊は阿弥陀如来。
母の13回忌で行きました。
桜の時期で谷川岳がきれいに見えました。
小松姫が葬られています。
沼田市の街並みや山々の素敵な景色を一望できて沼田八景の一つ子持の錦秋に指定されている場所でもあるお寺🙏また真田家と深い関わりがあり、何とか墓地中央には上田藩及び松代藩の初代藩主・真田信之公の正室であり、武芸に秀で勝気な性格であり徳川家康殿や徳川秀忠殿も頭が上がらなかったと言われていて、また真田家存続の為に厳しい選択をして真田家繁栄を果たしたお姫様でもある小松姫様の多宝塔的なお墓があるお寺でもあります✨✨✨さらにこのお寺では真田氏の重臣であり、自ら守っていたる上野国名胡桃城を奪われた事により当時としては非常に珍しい立ち切腹した戦国時代の武将・鈴木重則公が切腹したお寺でもあるので非常に有名である💁その鈴木重則公のお墓も墓地内にあるお堂の右横にある家型の珍しいお墓であり必見です🦉鐘楼近くの墓地一画には個別な感じで皇居御造営事務局御用掛として二重橋他宮内関連の橋梁築造や佐世保鎮守府軍港などを手がけたり、晩年には朝鮮半島の金剛山の観光開発や故郷沼田市にある沼田公園の整備事業で活躍した江戸時代後期から昭和時代初期に活躍した土木技術者、実業家、政治家・久米民之助氏のお墓もあり墓マイラーには嬉しいお寺です🦉🦉お墓以外にも沼田市の顔的に役割を果たしている「亀仙人」が掘られたカッコいい市の指定文化財に指定されている山門や駐車場付近に高々と聳えている一本の市の指定天然記念物に指定されているコウヤマキやまた墓地入口付近に鎮座されているまあまあ巨大な阿弥陀仏の銅像など見所多くて嬉しい🎶🎶🎶本堂自体は古民家的な雰囲気だけど彫刻は素敵でした🌸🌸🌸墓地内にあるお堂後ろから見る沼田市の街並みと山々の風景は絶景でオススメです🏞️🌄一応、沼田坂東三十三番霊場の25番札所でもあります🌿🌿
本田忠勝の娘であり、徳川家康の養女の小松姫のお墓があります。
佐野犬伏の別れに、より、真田昌幸、信繁と、兄、信之が、関ヶ原の戦いに東西に別れた時に、昌幸、信繁が上田城に戻る前に沼田城に寄った時に、孫の顔だけでも見せてくれと言った昌幸対し、幾ら義理父であっても、敵は敵と城には入れず追い払った逸話が有名です。
40代で亡くなっており、小松姫が亡くなった時には、信之は大変悲しんで、家の光が無くなったと嘆いた逸話が残っています。
境内には、他に沼田藩士の武士のお墓が沢山あり、沼田藩の城下町内に住んでいた位の高いお墓なども沢山ありました。
一番大きいのが小松姫のお墓でした。
神秘的な寺院でした。
歴史の有る素晴らしいお寺です👍
「正覚寺」は沼田城跡からも近く、かつての旧街道沿いに位置している寺院です。
初代沼田藩主の真田信之の正室だった大蓮院(小松姫)の墓もあるので、沼田藩にとって重要な寺だった事が分かります。
境内には沼田市の天然記念物に指定されている「コウヤマキ」や沼田市の文化財の「山門」を始めとして観音堂や鐘楼等の由緒ある堂宇もあります。
沼田城の外郭的な位置として河岸段丘上に寺域がありますので景色が良いのもイイ感じです。
沼田城跡からも歩ける距離ですので史跡巡りにピッタリです❗️(駐車は山門脇に停めて🆗との事)
八重桜と藤のコントラストは最高です🎵
静かで眺めが良いお墓ですね。
こちらの墓地には、真田信幸夫人の小松姫とともに、久米民之助という人物も眠っています。
彼は文久元年(1861年)沼田藩士の子として生まれましたが、幼くして両親を亡くし、刻苦勉励して工学部大学(現在の東大工学部)を卒業、宮内省に入りました。
そして皇居造営の部門に配属となり、いまも残る二重橋の設計に携わりました。
その後は、民間に身を投じて土木事業を興し、山陽本線、山陰本線を開通させるなどして、巨万の富を築いたといいます。
衆議院議員をつとめた後、沼田城の荒廃を嘆き、みずから買い上げて整備し、故郷に寄贈しました。
その功績を讃えて、沼田公園には民之助の銅像が建っています。
興味深いのは、その後で…彼の長女であった万千代は、二歳のときに五島惣兵衛の養女となりました。
民之助の父方の祖母である五島家には、後継者がいなかったからです。
五島家を継いだ万千代は、長じて小林慶太という青年を婿として迎えました。
この青年こそ、のちに名前をもじって「強盗慶太」と呼ばれ、片っ端から競合企業を乗っ取り、東急コンツェルンを築き上げた五島慶太その人でした。
数々の事業を成し遂げた民之助の娘がまた、壮大な事業を興した男の嫁になったのも、運命の巡り合わせというものでしょうか(^_^ゞ
真田信幸妻の小松姫が眠る寺として知られています。
徳川四天王の一人、本田忠勝の娘で家康の養女となり天正17年(1589)信幸に嫁ぎました。
元和元年(1620)療養のため江戸からの帰り武州鴻巣で生涯を閉じこちらに宝篋院塔が建てられました。
創建年は1406年。
河岸段丘を一望できます。
夏には沼田の花火大会の最高の観覧場所になります。
小松姫のお墓があります。
桜、藤の花が美しいお寺です。
私の地元 浜松市では直虎さんが、脚光を浴びてる。
同じ時代に生きた稲姫にも注目されますように。
小松姫の墓、嫁入り道具を所蔵。
沼田八景の一つ。
眺めがなかなかのものぢゃぞ。
真田氏家臣で、後北条氏の謀略により、上野国名胡桃城を奪われた鈴木重則(主水)が切腹した寺として知られています。
なお、重則は、立腹といい、立ったまま切腹をした忠義の武士であったという記録が沼田市正覚寺に残っているとのことです。
この事件を機に豊臣秀吉は小田原征伐へと動いて行くこととなりました。
名前 |
法蔵山 大蓮院 正覚寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0278-22-2959 |
住所 |
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評価 |
4.1 |
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名刹。
著名人の墓地、かつての城主の正室の墓所などがありながら、気取りが少しもなく、山門はとても風格がある。