江戸期からあった大阪三大市場のひとつ。
大川北岸に沿って開かれた、南天満公園の中に設置された石碑。
今はポツンと石碑が一つあるだけですが、その歴史は17世紀までさかのぼることが出来、太平洋戦争末期の昭和20年に戦災で廃絶するまで、市場として賑わっていたと伝えられ、大阪三大市場のひとつとして挙げられます。
投稿するために写真を撮った時、ちょこんと石碑の頭に春を待つスズメが止まっていました。
つはものどもが夢のあと・・・という感じかなぁと思ったけど、ちょっと違うかな。
◽アクセス①谷町線/天満橋駅/北②:徒歩8分②京阪本線/天満橋駅/③東⑬:徒歩7分※ 天満南公園内◽天満青物市場が登場する噺▪️「千両蜜柑」◽「上方落語の舞台の地」巡り(大川~土佐堀川~東横堀川)①八軒家浜:「三十石夢の通い路」「三十石」②淀川三十石船舟唄碑:「三十石」③天満青物市場:「千両蜜柑」④天満橋 :「片棒」⑤八軒家船着場跡:「三十石」⑥天神橋 :「天神橋」⑦熊野街道起点:「熊野詣」⑧高麗橋 :「百年目」⑨葭屋橋(築地) :「大阪名所 夫婦喧嘩」⑩今橋 :「須磨の浦風」⑪本町橋 :「商売根問」「佐々木裁き」⑫本町の曲り :「商売根問」「饅頭こわい」(曲り淵地蔵尊 / 阪神高速高架下脇)⑬農人橋 :「饅頭こわい」⑭久宝寺町 :「三十石夢の通い路」⑮九之助橋 :「帯久」「らくだ」⑯末吉橋 :「後家馬子」⑰安綿橋 :「佐々木裁き」「次の御用日」⑱安堂寺橋 :「東の旅①」「饅頭こわい」⑲瓦屋橋 :「帯久」◽天満青物市場▪️天満青物市場は石山本願寺門前発祥とされています。
1653(承応3)年、幕府より「官許青物市」の認可(標札)を受け、現在の南天満公園付近に常設され、賑わいました。
▪️「大坂三大市場」:堂島米市場、雑喉場、天満青物市場▪️戦火により1945(昭和20)年に閉鎖されるまでの約290年にわたり食品流通の拠点として機能しました。
江戸期からあった大阪三大市場のひとつ。
他に堂島米市場、雑喉場魚市場。
浪花百景にも天満青物市場の繁盛ぶりが描かれている。
いまは公園内の一角に石碑が一本立っているだけ。
普通に碑が立ってるだけです。
南天満公園の中央に碑がある。
天満橋北詰から西へ天神橋までの間にあった青物市場は、その繁盛の様子が「摂津名所図会」にも描かれている。
最初は石山本願寺を対象に自然発生し、その後場所の移動もあったが、ここに集まる前は京橋北詰付近にあった。
承応(じょうおう)2年(1653)当地に移ったが、野菜や果物の供給市場として、市内の相場を左右するほとであった。
昭和6年(1931)中央卸売市場に吸収されるまであった。
青果物(野菜・果物)の取り扱いをしていた天満青物市場跡地。
大阪にはあちこち史跡があります。
名前 |
天満青物市場跡 |
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ジャンル |
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住所 |
大阪府大阪市北区天満3丁目1−1, 〒530-0043 南 天満 公園 内 |
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.3 |
石碑だけがあります。
昭和61年(1986)3月建立です。