石段数えてみたら、最初の小さい段含め175段。
吾妻七社明神の一社です。
伊勢町の信号を西側に入りゆたか薬局を過ぎて右手側の道に入ると白い鳥居が見えます。
駐車場は鳥居の前を東側に進み100m程先の左手側の道に上がるとあります。
落ち着いた雰囲気で、趣のある神社でした。
階段を上がった先に拝殿があります。
雰囲気はとても良いと思います。
👌👌👌👌👌👌
徒歩にて正面道から正門を久しぶりに見た。
仁王像が圧巻でした。
御祭神 大日孁尊 豊宇気毘売神合祀神罔象女命 伊弉册命 大物主命 火産霊命 埴安姫命 保食命 品陀和気命 大山津見神 菅原道真公 素戔嗚命 建御名方命 八坂刀売命 倉稲魂命 火雷命 日本武尊市杵島姫命 伊弉諾命 水分神 高御産巣日神 木花開耶姫命境内社 琴平宮 愛宕神社由緒創建年代は不詳。
伊勢宮の前身は小城(古城)城下の河原町で、天正十四年(1576)~文禄四年(1595)に約六割が長岡の地に移り、後の中之条町の前身となりました。
地頭の保科淡路守が伊勢国山田奉行に在勤中、当地を卜し、正八幡社を若宮八幡社に合併し、その宮跡に当社を建立したと伝わります。
江戸時代前期の承応二年(1653)正月、沼田藩に庄屋役青柳源右衛門ら7人が上の原の地に町割りを出願し、町割り屋敷分けが行われました。
河原町に残った人々も移り、同年3月23日に伊勢町と名付けられました。
『伊勢町覚書』によれば、「伊勢崎の市が繁盛しているのを見て、その市神の土を盗みとって来て、町の中に榎を植え、その根元に土を埋め伊勢町と名付けた」とあります。
また、「神明の宮を建て、桜の木を記念に植樹した」とありますので、江戸時代初期の創立かと思われます。
明治39年(1906年)12月28日、神饌幣帛料供進社に指定されました。
明治40年(1907年)11月30日、字天代の無格社である八幡宮、北野神社とその境内社一社を合祀しました。
また、字只則の無格社である北野神社とその境内末社の金刀比羅宮・伊弉諾神社・阿夫利神社、武尊神社、大山祇神社、雷電神社、厳島神社も合祀しました。
さらに、字天神の無格社である諏訪神社、字十澳澤の無格社である大山祇神社とその境内末社である飯綱神社・稲荷神社・雷電神社を合祀しました。
同年12月17日、大字青山村字駒形村の村社である駒形神社(宇気母智神。
大山津見神・菅原道真・建御名方神・大日孁尊を配祀)と、その境内末社五社、字若宮の無格社八幡宮を合祀しました。
明治44年(1911年)3月9日、当社の境内末社二社と、大字市域村字明神の村社である白鳥神社(日本武尊)を合併しました。
この中で、駒形神社と白鳥神社は『神道集』の「児持山大明神の事」にある駒形大明神と白専女大明神で、吾妻七社明神の二つです。
「児持山大明神の事」には、「阿野津から尾張熱田まで馬に乗せてくれた人も神道の法を授かり、馬は岩尾山の駒形、舎人は今至の白専馬大明神と成った」とあります。
その後、白鳥神社は昭和24年(1949年)に分祀、翌昭和25年(1950年)に旧社地に再建されました。
境内入口には、昭和19年(1944年)建立の、石工浦部によるによる岡崎現代型狛犬が安置されています。
また、神楽殿があり、祭礼の際は伊勢町太々神楽が行われます。
奉仕者により餅の振る舞い、餅投げが行われています。
(神社と古事記及び神社探訪サイトより)
名前 |
伊勢宮 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0279-75-2422 |
住所 |
|
評価 |
4.0 |
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石段数えてみたら、最初の小さい段含め175段。
メイン100段。
結構きついけど参拝した達成感あり。
手摺りは低いので帰りは転ばないように。