平成元年(1989)に玉造稲荷神社創祀二千年祭を挙...
玉造稲荷神社分社(旧社名 東雲稲荷神社玉造稲荷神社分社の地は江戸時代に玉造を代表する町人である松屋甚四郎、その手代源助が「浪花講」を設立した場所「浪花講」とは、旅人に安全で信頼のおける旅を提供する為この組織を設立した。
浪花講発祥の地(旅宿組合)玉造には色んな場所があるみたい?お寺、商店街、大阪城(森ノ宮)等路地を歩いて行くと色々なものが目に付くのでは?
行きましたよ‼️😀いい神社ですね😁今日又行って来ました‼️😀
玉造稲荷神社の分社。
コロナを終息してお願いします🙇⤵️
お呼ばれしました。
浪花講の発祥の地だそうです。
元は新山稲荷と称していたが、後に東雲稲荷神社、平成元年(1989)に玉造稲荷神社創祀二千年祭を挙行し分祠により現在は玉造稲荷神社分社となっている。
鳥居の横に「浪速講発祥の地碑」が建っている。
江戸時代に玉造を代表する町人である松屋甚四郎、その手代源助が「浪花講」を設立した場所にあたる。
当時の旅は安全性が乏しく、旅人に安全で信頼のおける旅を提供しようと「浪花講」を設立した。
全国各地の旅籠などの軒先には「大坂・浪花講」の看板が掲げられ、旅人らはそれを目印に安心な宿をとる事ができた。
長堀通りに面した場所にあります。
玉造稲荷神社分社とありますが、東雲稲荷ともいうようです。
豊臣秀頼縁の神社。
名前 |
玉造稲荷神社 分社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
伊勢への参宮街道を表す石碑があります。