「素行がちょっと・・」と紫式部に評されますが娘の死...
恋多き女性の塚だそうです。
見つけるのにすごく苦労しました 周辺に車を停める場所がありませんでした また お社がポツンとあるだけでなんとなくかわいそうに思いました。
平安三女流歌人の一人。
鬼岩への道でよんだ歌。
△ひとりさえ渡れば沈む浮橋に後なる人はしばし止まれ。
「素行がちょっと・・」と紫式部に評されますが娘の死を機に仏教に傾倒。
初代住職が和泉式部だと伝わる新京極の誠心院にはお墓として大きな宝篋印塔があります。
全国各地に墓や逸話があるのは、帰依した近所の誓願寺が女人往生の寺と全国に布教活動したからと言うのは柳田国男。
奔放な恋愛遍歴と高貴な女房、このギャップが下々の者には人気だったとゲスな私は思います。
入り口の案内が見つけにくいです。
中山道細久手宿から御嶽宿の途中にあります。
国道沿いの北側にありますが、道からは判別しにくい?です。
一説では、和泉式部が東山道をたどる途中に病に倒れ寛任三年(1019)にこのちで没したと言われています。
ウイキペディアによれば、和泉式部の墓所と呼ばれている所は、岩手、兵庫、山口、京都、と、全国に数か所あるらしい。
恋多き平安女流文学者は、現代人達の心もヤキモキさせてるようだ。
名前 |
和泉式部廟所 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
和泉式部はこの辺りで句を読み病に倒れたそうです。