関東七名城のひとつに数えられています。
前橋城跡(厩橋城跡) / / .
天下無双のかぶき者、前田慶次が愛馬松風と出会い我が物にした場所、厩橋城。
遺構としては土塁が残っており、その上には松の木が植わっていた。
利根川沿いにあることから天然の要害でもあるが、その利根川の激流により城が破壊された事もあるという。
まさにあばれ馬のごとき河川。
本丸御殿の跡地に県庁がそびえっており、複雑な気分ではあるものの、戦国後期以降は城は政庁としての役割が強くなっていく傾向があったことから、ある意味同じ役割のものが立っていることには納得できる。
県庁じゃなくて遊園地とか商業ビルとかじゃなくて本当に良かったです。
城址として見るべき所は警察本庁舎北東の前橋城跡の碑と土塁くらい。
警察本庁舎南側に前橋城復元図、県庁西側の虎姫観音堂に天守閣復元図あり。
前橋城跡前橋城は古くは厩橋城(うまやばしじょう)呼ばれ、関東七名城のひとつに数えられています。
江戸時代中期に起きた洪水の被害で一旦は廃城となり川越藩の飛び地になりましたが、幕末に再築しました。
これは江戸幕府が最後に出した築城許可といわれています。
現在は遺構はほとんど残っていませんが、本丸土塁(写真⑤⑥)が現存しています。
本丸跡地には群馬県庁本庁舎(写真①②)が置かれ、二の丸跡地には前橋市役所、三の丸跡地は前橋地方裁判所がある官公庁街となり、三の丸外郭が明治38年(1905年)前橋公園として整備されています。
令和3年発掘調査により大手門の石垣が発見されました。
【歴史】天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐で豊臣方により攻め落とされ、その後関東入封した徳川家康の家臣平岩親吉が厩橋城3万3千石に入城。
慶長5年(1600年)関ヶ原合戦後に甲府に転封した親吉に代わり酒井重忠が入城。
重忠の時代に大改修を行い3層3階の天守が造営されました。
しかし前橋城は利根川の浸食を受け続け、明和6年(1769年)幕府の許可を得て前橋城を放棄し川越城に移り、川越藩の分領として陣屋支配となりました。
文久3年(1863年)川越藩主松平直克は前橋城の再築をはじめ前橋城は竣工、慶応3年(1867年)前橋藩が再興した。
しかし、再建から半年後に大政奉還し廃城となりました。
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関東七名城の一つです。
利根川の畔に建っており、利根川の豊富な水量の影響で城縄張がどんどん侵食され、何度も再建を余儀なくされた、波乱万丈の生涯でした。
明治~大正期の群馬県庁は前橋城の本丸御殿をそのまま使用しており、その流れで現在の県庁も城跡に建っています。
遺構は土塁程度ですが、高さ3m以上ありそうで、かなり立派。
これは幕末に前橋城を再々興するに際して、米英からの侵略に対抗すべく、ここを拠点にしようとしたそうです。
っていうか、こんな内陸部に反攻拠点を築くって、どんだけ攻め込まれる事を想定しているんだか...。
結局は完成前に明治維新を迎え、開国してしまったのですが。
県庁はお城の跡に建てられたということが分かります。
跡なので、石碑がいくつか建てられているだけです。
土塁もありますが、崩れているのでちょっと危ない感じもします。
城好きなので土塁だけでも興奮する!
立派な土塁ですね。
入り口はほぼ藪みたいになってますが。
県庁、警察署が立っている端に土塁が再現されているだけ。
高崎城址同様こんなに現存した形で残っていたとは想像していませんでした。
本丸は残っていないにしても周囲が残っていれば城があったと想像がつきます。
本年早々にグリーンドーム前橋に向かう道中、通りかかったことがありましたが、以前通った時と全く景色は変わっていませんでした。
時間は流れていても城跡がそのまま残っていることが群馬県民はもちろん、前橋市民の脳裏に焼き付けるのではないかと思います。
さびれた石碑、少し土塁が残っているのみ😥貴重な史跡は大切にしましよう(๑•̀ㅂ•́)و✧
周辺を時間をかけて散策すれば城跡の面影がたくさん残ってます。
うまやばし~前橋になったのも納得です。
上州長野氏の築城と伝わる。
関東七名城の一つ。
坂東太郎こと利根川の浸食により始終翻弄された城。
長野氏、越後北条、滝川氏、相模北条氏、平岩氏、酒井氏、越前松平氏と城主が変遷する。
遺構の残存状態は余り良くない。
土塁等が再築され、本丸跡には群馬県庁が建つ。
現在は県庁の周囲に土塁を残すのみだが、その土塁は高さ、敷幅ともに巨大である。
土の城の傑作であったことだろう。
いまは土塁のみを残す厩橋城には、大狸の伝説があるそうです。
永禄十年十月、この厩橋城に拠っていたのは、越後から侵攻した上杉謙信でした。
対峙して城を包囲する敵方は、北条軍三万と武田軍二万の大軍でした。
激しく攻め立てられ、夜になって厩橋城も落ちるかと見えたとき、突如として闇の中から鬨の声が上がり、手に手に松明を掲げた軍勢が、包囲軍の背後を襲いました。
城内から、敵が総崩れになったのを見た上杉方は、勢いを盛り返して反撃に転じ、包囲軍は敗走しました。
しかし、どこから来た援軍なのか、誰にもわかりません。
夜明けになって見ると、激戦のあった場所には、血の滲んだ獣の毛が散り乱れていました。
そして草むらの陰で、一匹の大狸が息も絶え絶えになっているのが見つかりました。
その大狸は、苦しい息のなかから言いました。
「私は古くから城に棲んでいる狸です。
このたび、お城の危急存亡に当たり、力の限り働きましたが、私の命もこれまでです。
せめて御恩返しができて嬉しく思います」そう言うと、狸は息を引き取りました。
さては、昨夜の援軍は狸の仕業であったかと、上杉方は大いに感じ入ったのだそうです(*^^*)
城は申し訳程度ですが、庭は整備されています。
群馬県庁は前橋城跡に建てられており、ぐるりと土塁に囲まれています。
名前 |
前橋城跡(厩橋城跡) |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.6 |
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目立つものは残っていないけれど。
群馬は利根川の氾濫などもあって治め難い土地だっと。
そんな記録に返って想像力が掻き立てられる。
そんな所です。