吾れ是の毛の上ツ國の磐筒男磐筒女の大神也。
住宅地にありながらも由緒も正に歴史を感じ、県認定の宝塔まであります。
是非参拝を。
静かで落ち着く神社でした。
小さい弓道場が併設されていました。
文化財の凄さを鑑みるとここが二宮でも驚かない。
文化財の多宝塔 本殿の鏝絵 弓道場 歴史がある神社。
殖木宮とも。
神道寺(原文)Templo sintoísta
本殿の胴羽目部分は木彫りではなく左官職人の鏝(こて)絵でしょうか?外枠の覆いがあるので中々良い写真が撮れません。
私の写真も決して中に入れてもらって撮影したわけではありません。
撮り方によれば誰でも工夫次第でこの程度の撮影はできます。
御祭神 磐筒男命 大己貴命(大国主命)殖木宮赤城神社御由緒縁起書に曰く安閑天皇の御宇(531~35)、或る夜、天皇に二柱神見え奉り奏して曰く、吾れ是の毛の上ツ國の磐筒男磐筒女の大神也。
天に在りて相生の神也。
今、國に魂を分ちて毛の上ツ國に鎮座して男神は赤城山に座し女神は兒持山に座す。
是の如く鎮座するは他國よりは吾國、他人よりは吾人にして、動じず絶えず、君を守り鎮め、神徳に明らけく、天下の陰陽の道を守り、万代に易らず、殊に吾が鎮座する毛の上ツ國は五穀に桑多く在り養蝅に美し國なり。
天皇必ず吾が二柱神を祭りて開國の地なり。
宮殿の造立にあたって、山の一番美しく見える処が撰ばれた。
水の流れて来る方向に神の存在を信じ、真夏の水田の水の熱さに生命の根源を肌で感じ取っていた。
水稲耕作が入って来て、すでに九百年近く経っていた。
経済力が増大し、政権が誕生して二百年が経過していた。
まさに瑞穂の国の所以である。
やしろは赤木ノ社と名づけられた。
佐位大社 殖木鎮座 従四位上 郡玉明神当殖木宮の創建は古く安閑天皇の御代(五三五年頃)に勅使佐位に至り殖木縣に宮殿を造立し給うと縁起書に記されている。
按ずるに当時佐位郡一帯を支配していた檜前部君一族により、氏神赤木社として建立されたものであろう。
殖木縣は東山道佐位驛として古代の交通の要衝として、またまつりごとの中心地であった。
群馬県指定重要文化財 下植木赤城神社石造美術群古碑殿内にある中央の宝塔二基と、左側の石幢一基が指定物件で、右側の宝塔には観応二年(1531)、左側の宝塔には貞治五年(1366)、いちばん左側の石幢には延徳二年(1490)のそれぞれ刻銘があり、造立は南北朝時代から室町時代初期のものです。
形態はさまざまですが、基礎部の刻銘などにより、法華信仰がうかがえ、北方の天増寺にある「天増寺宝塔」(県指定重要文化財)とともに、当時、この地方に法華経に伴う信仰が広がっていたことがわかります。
地元の人ための神社でした。
駐車場がなく、路駐ですみません。
といった感じで止めさせていただきました。
標記されている、URLは間違っています。
赤城山頂の赤城神社のものです。
信頼出来る情報でご確認してから、お出かけください。
名前 |
赤城神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0270-26-1489 |
住所 |
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評価 |
3.8 |
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駒留石と神社にお詣りしてきました。
平日昼間の訪問で誰もいませんでした。