道が狭くて大変なんだよ高井寺になってる。
長野県史跡ですと(^-^)/元和6年(1620)福島正則の築造、寛永元年(1624)正則死す。
( ´~`)ゞ今は高井寺になってる。
石垣があるけど安政2年(1855)のものだとさ。
岩松院で福島正則の霊廟を見学してから、車で15分ほどで到着。
現在はお寺さんになっている。
境内をウロウロしていたら、住職さんが本堂を開けてくれて見学ができた。
福島正則は広島からこの地に国替えになった後、築城禁止の処分を受けていたらしいので、なるほど城でなく屋敷に住んでいたということか。
戦時中、ここには北千住の小学生が疎開していて、いまだに疎開していた方との交流が続いている。
展示物やエピソードをお聞き出来て、有意義なひと時を送れた。
なお車は大通りから細い道を入り裏手に廻ると境内に停められる。
県道とは反対側に車での寺への入り口あったが…
屋敷跡地は寺院となっています。
その寺院には福島正則由来の宝物があるとか。
この寺院がここに移転してきたのは江戸後期で、その頃にかなり改変されてしまい、現在残るのは北東部分の土塁のみです。
福島正則公は高山村で没した。
福島正則館居館土塁上高井郡高山村大字高井(高井寺)
父親の実家の近くにこんな歴史上の大物の終焉の地が有ることを知って感激しました。
当時の遺跡は寺の東北にある土塁のみですが、寺と民家に挟まれて現存している事が驚きです。
自動車がやっと一台通れる道路に囲まれていて駐車場はありません。
車で来られる方は慎重な運転をお願いします。
豊臣恩顧の大名であった福島正則が晩年六十四歳で没するまで過ごした屋敷の跡です。
往時は恐らく空堀と土塁を巡らせた方形館だったと思われますが現在は高井寺の敷地となり、周囲の段差も石垣に改変されてしまっています。
遺構としてはわずかに土塁が現存しますが、土塁と言うよりただの土山にしか見えないような規模でそれだけしかありません。
正則公と縁のものとして江戸時代に建てられた供養塔があり民から慕われていた事を忍ばせます。
歴史的文化財としては屋敷跡の東側路地に高札場跡があり、基壇石垣と建物が忠実に復元されています。
又、北北西の方向約400m程度の畑地の中に正則公を火葬した地が史跡として保存されています。
名前 |
福島正則屋敷跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
道が狭くて大変なんだよ高井寺になってる。