咲き始めていました。
南側の道路に面した鳥居近くから紅梅が植えられ、常緑樹並木の参道を抜けた境内にも8本ほど植えられ、咲き始めていました。
建立は長寛(1163〜1165)で、神官十数人の大きな神社だったとのことですが、今はカラスの鳴き声と自動車の走行音だけが響き人の気配も感じられません。
建国記念日・神明宮には、神の池の1基を含め、石宮が50基ほど散在・1基・1基を縄幣で飾り崇める、国の指定重要無形文化財220年の歴史に護られてきた春鍬祭‥穏やかと思えども気まぐれな赤城の風は、時おり満開の紅梅を吹きさらす、神域の石宮は真っ赤な花吹雪に包まれる、この祭りを節目に本格的な春耕の訪れ・田園風景への心の準備を始める 💮 春鍬神事に欠かせない小道具はとてもユニーク鍬です。
親指ほどの太さの樫の枝〔葉っぱ🌿残し〕元口の枝を鉤カッコにカット・切り口に丸い餅を 挿し~長方形の餅を奉書で包み柄に結びて仕上がりです。
💮 禰宜・神官・お練り傘・25本ほどのユニークな鍬を桶に入れ2人で担ぐ6地区の鍬持ち、 地区に依っては10升の鏡餅を天秤で担ぐ・5升の鏡餅を唐草模様の風呂敷で背負うなど大行列になります。
6地区の方々は春鍬祭りに対する思い入れは、凄まじいものです。
行列は拝殿に15時30分に到着・祝詞奏上・榊奉納・拝礼に続き~烏帽子に白の狩衣・鍬持ち達が~餅付の鍬を持ち、所作場に集結‥田んぼに見立てた紙コップに声を荒らげ、「どうした」「水はまだか~早く水をながせ」「こちらも水がたりないぞ」観客の中にも声があがれば‥役員が1升瓶の水を配り機嫌を取ります。
智恵酒に元気づいた鍬持ちは笑いを振りまき~田造りの、くろぬり、代掻きの所作をたっぷりと‥続行~時を見計らい総代は「春鍬よぅ~し」と‥神に称賛…透かさず鍬持ちは声を揃えて返答「いつも・いつも・百代〔ももよ〕よぅ~し」と 称えて…餅付きの鍬は観衆の輪へ撒与されます。
伊勢崎~ 前橋の間にある、ひっそりと佇む神社です。
2月の梅の時期になると、とても美しい梅が咲き乱れる場所であります。
とても写真映えします。
近所に駐車場はありませんので、徒歩にてお越し下さい。
御祭神 大日孁貴命 豊受姫命 (配祀神十四社)(玉村町ホームページより引用)神明宮の創立と位置長寛年号(1163~1165)頃、玉村御厨の中心として祭られていたもので、樋越古神明砂町にできた神社であり、安元年間(1175~1177)足利忠綱により再興され寛保二年(1742)の台風に依り大洪水が出て約五百メートル位南に流され、現在の神人村神明原に位置しています。
現在の所在地名は、玉村町樋越四一二-四になります。
春鍬祭は寛政十年(1798)から現在まで毎年実施されており、平成二十三年で二百有余年になる伝統文化です。
神明宮は伊勢大神宮の御分霊を奉祀せるものにして高倉天皇の御代、安元年間藤原秀郷の末裔、足利又太郎忠綱が之を再興し、鎮座地を樋越神人村八王塚にして年々二月十一、長田狭田の式、併せて、抜穂の式、として古神明砂町に神田一反歩を有していた水田より献上したと伝えられています。
又、秋祭も十一月二十三日と決められ、現在も新嘗例祭として続けられています。
(案内板より引用)
毎年2月11日に春鍬まつり開催集落内を巡り、住民の顔に墨をつけて無病息災を願う「墨付け祭り」として有名!
名前 |
樋越神明宮 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
3.9 |
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長い参道、立派な獅子の像たくさんのカラス達。
その奥に鎮座しています。