第一駐車場から山頂まで30分ほどです。
ここは続百名城の美濃金山城跡です。
山城なので天守跡まではかなり登ります。
車で近くの駐車場まで行けますがとにかく道幅が狭く離合場所も少なく大変です。
天守跡からの眺めは最高です。
桜も沢山植えてありとても綺麗です。
続日本100名城No.143の美濃金山城へ行ってきました。
あいにくの天候だったので、本丸跡から一番近い出丸跡駐車場を利用しました。
晴れていればこの時期は麓から登城するのも良いと思います。
織豊時代の城の特徴である石垣でつくられたこと、天守が設けられたこと、などの痕跡が遺っており、当時の様子を想像するのが楽しかったです。
100名城スタンプは、麓にある可児市観光交流館で、御城印はその隣の戦国山城ミュージアムで入手可能です。
可児市観光交流館では、陣羽織を着た姿を無料で記念撮影させてくれます。
戦国山城ミュージアムを見学するのは有料ですが、なかなか見所沢山ですし、美濃金山城の解説が充実しているので、登城前に立ち寄ることをお勧めします。
第一駐車場から山頂まで30分ほどです。
猪がでるらしいです。
コースは整備され迷うことなく登れます。
桜の時期が楽しみな場所です。
元々、斎藤道三の養子、斎藤正義より烏峰城として築城、その後、織田信長の重臣、森可成が城主となり金山城として改修し森氏の居城となりました。
今回で2回目の訪問ですが1回目は2年前の8月に来たので暑さにやられましたが今回は2月に来ましたので楽に登る事ができました。
頂上からの可児市の風景は天気が良かったのもあって絶景でした。
東美濃山城の岩村城、苗木城に続く3つ目金山城跡へ行きました✌️場所がわかりにくく、可児市観光交流館へ立ち寄り、スタッフの方が親切に教えてくださいました👍出丸の駐車場まで🚙を走らせましたが…山道が狭くて、難易度高いので要注意です⚠️駐車場からは、さほど気にならない山道を歩き、金山城跡へたどり着きます😊眼下に見下ろせる絶景に癒されるますよ🫶蘭丸の里を思い浮かべながら、静かなひとときを過ごせました❣️御城印は可児市戦国山城ミュージアムにて1枚300円で購入できますよ😊観光交流館のお隣です。
山城好きな方達、是非立ち寄ってみて下さいね☺️
大手道から入城し、蘭丸広場は行かず😆、三の丸門跡、二の丸跡、枡形虎口を抜け天守台西南隅石から天守本丸跡へ到着。
本丸虎口を見てから-興亡の歴史-を読むと、森可成、長可、(蘭丸)、忠政のお城であったことにびっくり~😲。
森忠政の津山城🏯を思い出します~😲(^^)。
その後、続100名城スタンプの写真場所を求め散策。
米蔵跡を訪問👣しましたが納得いかず、あきらめて田んぼに行く横路に入ると発見👀\(^^)/。
こんなところだったのか❗と驚きつつパシャリ🤳してきました(^^)。
眺めが良さそうだったので、外事のついでに行きました。
麓から城跡の頂上まで歩いて30分。
道は舗装されてませんが整備されてます。
眺めは思いのほか良く、遠くに残雪のある山(御嶽?)もみえました。
ジジイには良い運動だった。
急ぐ方は城跡まで5分に無料駐車場とトイレがあります。
下りで一緒になった方は何度となくニホンカモシカに出遭ったそうです!
戦国時代の雰囲気を残す山城跡です。
頂上からの景色は絶景でした。
この城を造った森一族の歴史を知ると、感慨深いものがあります。
車でかなり上まで行けますので、登るのは楽々でした。
道を整備していただいている地域の方には頭が下がります。
さくらと紅葉の時期がおすすめ。
下の駐車場から2~30分で上まで行ける。
いい運動になった。
国の史跡に指定されている「美濃金山城」は織田信長に使えた森可成が整備した山城です。
その後も森家の居城として機能していました。
美濃国には岩村城等の山城が多いですが、その中でも金山城は比較的に訪問しやすく本格的な城跡だと思います。
出丸までは隘路ですが、車で行く事が出来て、トイレ🚻も完備されています。
そこから少しの登りで三の丸から本丸まで行く事が出来ます。
縄張り等も看板などで分かりやすいと思います。
もちろん山城ならではの高度感もあります。
ちなみに麓は本能寺の変で織田信長の小姓として働いた森蘭丸にちなみ、蘭丸広場として整備されており、特にサクラ🌸の時期は素晴らしいです。
出丸に15台分の🅿️🚗駐車場と🚻トイレがあり、道は狭いですが綺麗に整備されています‼️ 天文6年(1537年)斎藤道三の命を受け、斎藤大納言正義によって高さ276mの古城山の山頂に築かれ、烏峰城と名づけられました❗天守、本丸、二の丸、三の丸、各曲輪が配されていました。
城下町との標高差は約170mあります。
永禄8年(1565年)織田信長が東美濃を攻略した際、家臣の森可成が城主となり金山城と改名しますが、宇佐山城の戦いで討死。
森家次男の長可(ながよし)が城主となりました。
可成以後森家五代の居城となりました。
通常なら城郭近くまで車で行くことができます。
遺構がしっかり残っていて、続100名城に名を連ねるに値する立派な城跡です。
もちろん戦国の山城のため、天守閣などはありませんが、歴史好きの方にはたまらないお城跡だと思います。
特定天然記念物?の日本カモシカもいました。
近いようで遠い美濃金山城が前々からずっと気になっていたが、あまり遠出をすることが許されないっぽい正月の三が日にちょうどいいということで城めぐり仲間と一気呵成に攻めた。
で、これが想像よりはるかに素晴らしいじゃないですか。
特に石垣はいい。
薄っすらと雪が積もっている情景もこの城の佇まいにぴったりマッチしていた。
桜の木も多そうなので4月頃に攻めるとまた違った姿を堪能できるだろう。
ただ、周りにはそれらしい飲食店がほぼほぼなさそうだった。
(2021_01_03)
明智城とセットで登城してきました。
破城された痕跡が多数みられ、キレイな石垣とはまた違い見応えがありました。
三の丸から本丸、虎口など、「城」というイメージをちゃんと持った城跡です。
本丸跡からは北側に下の町から遠くの山々が見えます。
駐車場は下の方にも上の方にもあり、上の方は本丸跡にかなり近いところまでいけます。
道は狭いです。
国指定史跡美濃金山城跡元は鳥峰城と言って斎藤正義が築城。
その後美濃攻略を目指す織田信長の勢力圏になった永禄8年(1565年)に家臣の森可成が入り兼山城と改名しました。
しばらく森家が城主を務め、可成の子長可が城主の頃に城下町や城の整備が進みました。
天正10年甲州征伐で長可は先鋒を務め信濃海津20万石を拝領し長可は信濃へ転封。
兼山城は弟の成利(蘭丸)となるが同年本能寺の変で討ち死にしてしまいます。
長可が再び兼山城主になると小牧長久手の戦いで長可が戦死。
目まぐるしく森家の城主が討ち死にする中、最後は可成の6男森忠政が城主となり慶長5年(1600年)川中島へ転封。
その後兼山城は廃城となりました。
※兼山城の天守が解体され犬山城の天守として移築されたという伝承がありましたが。
昭和36年犬山城天守解体修理の際の調査で移築の痕跡が発見されなかったため、移築説は否定されています。
2013年国指定史跡に登録2017年続日本100名城に選定現在特に本丸部分は樹々の伐採整備が進んでいます。
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遠目でも、近づいて見ても圧巻です。
維持、管理されてる本町の皆様、関係者様に感謝です。
とにかくここは石垣が素晴らしいです。
破城の跡が残る貴重な山城。
表側は公園で、整備されています。
裏から入ると、山城を堪能できるかも。
交流館からぐるっと回って、1時間20分くらいです。
静かに歴史振り返る感じでしょうか。
かなり破壊を受けているが山頂近くまで車で登れる。
裏から登るコースで毎回運動がてら登ってます。
頂上は城跡の石がまだ残っています。
名前 |
美濃金山城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
森蘭丸が一時期城主をしていたとか。
小さなお城ですが、説明看板がしっかりあり、道もしっかりしていて歩来やすいです。
少し登るので、服装、靴に注意。
御城印は「戦国山城ミュージアム」で買えます。