名前 |
神明宮 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
御祭神 天照皇大神由緒当社は、『上野国神明帳』に従四位下、榎本於神明神とあるのが、いつの頃からか、神明信仰(天照大神を主祭神とする伊勢神宮内宮が総本社)に変ったと思われます。
明治四十三年(1910)、神明宮は高崎神社に合祀され、一時期社はなくなりましたが、その後町民の強い願いにより、昭和四年(1929)に再建されました。
「お神明様」と慕われ、毎年四月に執り行われる春の例祭には、明応三年(1494)に始まったとされる獅子舞が奉納されます。
舞のときに四股を踏むように地面を踏みつける動きは並榎独特のものと伝えられ、高崎市の重要民俗文化財に指定されています。
境内には、村上鬼城の揮毫による並榎橋の親柱のうち、二本が狛犬の台座として残されています。
(現地案内板より)神明宮となる以前は榎本於神明神であり、「榎本」は並榎に関連する名前であり、「於神」とは水の神を指す呼び名です。
それが、中世以降の神明信仰の高まりによっていつの頃からか、神明宮となりました。
上野國神名帳「永仁六年(1298)總社神社蔵」に旧名が記録されているということは、当社は平安時代には既に存在し、この地が古墳だったことを考え合わせると、その起源は相当古いものと考えられます。
(境内案内板より)高崎市指定重要無形民俗文化財「並榎獅子舞」並榎の獅子舞は古く、明応三年(1494)に始まったと伝えられ、井伊直政が箕輪から移り、和田を高崎と改名。
慶長三年(1598)、豊岡の若宮八幡宮へ参拝した際、お供をして獅子舞を演舞奉納したと伝えられています。
明治・大正・昭和・平成を通じ、神明宮、高崎神社へ奉納し、町内巡行を行っています。
獅子舞の流派は、黒熊流でしたが明治の初めに稲荷流に変わり、現在に至っています。
そのせいか、並榎の獅子舞は、足を踏みつける半閇の動作が強く、力強い踊りが特徴です。
(「ぐんま地域文化マップ」参照)