名前 |
出雲神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.2 |
御祭神 大国主命(推定)中世において鎌倉から関東の諸国をとおり信濃や越後、そして陸奥などの地方を結ぶ交通路だった鎌倉街道。
神川町の八日市の熊野神社付近から植竹、肥土を通ったと思われる街道の道筋は現在はっきりしていません。
神川町役場の南側あたりを通り、中肥土の集落内にある「出雲神社」前あたりを街道が通っていたといわれています。
群馬と埼玉を結ぶ鎌倉街道上道のルートは他にも幾つか候補がありますが上肥土を通るルートが最もよく知られています。
この辺一体は、神流川低湿地帯だったところで、現在はきれいに区画整理されています。
神川町の肥土一帯は神流川の流路であったと考えられ、低湿地の集落の中には元は群馬県だったところもあったようです。
低湿地にあった「日本後記」に出てくる緑野寺が川の流れの変化で、群馬県浄法寺に移転したといいます。
鎌倉街道上道も神流川を渡れば群馬県です。
そしてここは武藏国と上野国の境にもなっていました。
上野国に入った鎌倉街道上道は上越国境の山を越え越後の国へ向かうものと、進路を西にたどり碓氷峠を越え信濃の国へ向かうものがありました。
(サイト「道・鎌倉街道探索日記」より)