陣屋建築として現存は珍しく貴重なもの。
立派な門と館が有ります。
富岡高校の敷地内です。
2012年11月訪問しました。
養老五年、甘楽郡を与えられていた羊太夫は、朝廷に反乱を企てているとして軍勢を差し向けられ、妻子ともども滅ぼされました。
その時、羊太夫に従っていた人々の一部が、この辺りの森に逃れて潜み住み、やがて開墾して村を作ったのが、七日市の集落の始まりだと伝えられているそうです。
また七日市という地名にも、次のような言い伝えがあるといいます。
平安時代のこと。
醍醐天皇が重い病気にかかりました。
これを全快させたのは、甘楽郡の西芳寺の僧であった月景でした。
月景は都に招かれ、祈祷によって天皇を快復させたのでした。
喜んだ天皇は、自分が大切にした阿弥陀如来像を月景に与えました。
月景は、その仏像を牛車に乗せ、大勢の従者とともに、帰途に着きました。
ところが鏑川に差しかかると、大雨のために水量を増して川止めとなった為、この地に七日の間、止まらねばなりませんでした。
このことを伝え聞いて、有難い仏像を拝もうと、近郷近在から続々と人々が集まり、その人々を当て込んで賑やかに市が立ちました。
参集する人波は、ついに七日間絶えることがありませんでした。
それより、この土地を七日市と呼ぶようになったとのことです。
七日市藩邸は、加賀百万石の領主である前田利家の五男、前田利孝が陣屋として建てたものだそうです。
加賀前田家の赤門に対して、こちらは黒門となっています(^_^ゞ藩邸跡は冨岡高校の構内にありましたが、外観は見学することができました。
立派な庭園もあったので、めぐり歩いていると、太平洋戦争にまつわる碑を二つ見つけました。
一つは工場に学徒動員され、空襲や過労のために亡くなった生徒達を悼む碑でした。
もう一つは「陸軍中野学校終焉の地」と記した小さな石碑でした。
説明板も何もありませんでしたが、二つとも戦争の傷痕を物語っていました(;_;)/~~~校門を出ると、真ん前に「女優風見章子生誕の地」という標柱が立っていました。
こちらの、ご出身だったのですねm(__)m
陣屋建築として現存は珍しく貴重なもの。
内部の見学は事前に富岡高校の許可が必要です。
どうみても高校の敷地内でしたので入るのを遠慮して帰ってきましたが、普通に入って良いそうです。
また行きます。
旧七日市藩藩邸跡。
前田家ながら、派手さはありません。
富岡高校の中にある施設。
富岡高校の敷地内にあります。
クルマで行く場合は高校の校門が開いていれば駐車できます。
名前 |
七日市陣屋 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
友だちの前田藩子孫の関係していますよ。
よく残してくれたと、