加賀前田家の分家の御殿が今でもある。
歴史ある伝統校で、黒門の雰囲気もかっこよいです。
校風も、学業も部活も文武両道。
進学や将来の進みたい方面の相談もキメ細やかに見てくれる良い学校です。
入学式行って来ました。
6クラスまであって凄く賑やかでした。
息子は3組です。
(3年間楽しんでくれよ!)
練習試合ありがとうございました。
進学校 歴史がある。
2018年に群馬県立富岡東高等学校と統合。
ここで群馬県立富岡東高等学校の元になった富岡町立高等家政女学校の話を。
戦時中、この女学校でも軍需品を作っていました。
作っていたものは飛行機のエネルギータンク。
エネルギータンクに七層のラバーを貼っていたそうです。
因みに、貼るのに使用した接着剤は、群馬特産のあれ。
蛇足ですが。
富岡東の創立80周年の公演は卒業生の女優の風見章子さん。
ご実家は仕事に真摯に向き合う提灯職人だったためか、風見章子さんも女優業に真摯に取り組んだそうです。
陸軍中野学校が敗戦時にあり、加賀前田家の分家の御殿が今でもある。
黒門をはじめ御殿、と呼ばれた建物が残存してます。
私は昭和47年に入学しました。
安中市板鼻から自転車で片道13㎞の道を3年間通いました。
生徒は皆、穏やかで虐めなどありませんでした。
ツッパリはいましたけど気持ちは優しい男ばかりでした。
確か、男女共学の学年が卒業して間もない時代でした。
男女共学が羨ましかったです。
今は、また男女共学になったらしいですね。
ぬるま湯に入っていた高校生活でしたけど、周りの皆さんには感謝しています。
良くも悪くも今の私が在るのはここでの3年間が大きく影響しています。
男女共学になって富岡高校は良かった、と皆さんに言ってもらえるよう在校生諸君の健闘を期待したいと思います。
60才を超え、高校時代の3年間が如何に大きなものだったか実感しています。
勉強でもいいし、運動でもいいし、なにか成し遂げた実感を持って生きて行けるよう頑張ってください。
七日市藩陣屋(加賀前田利家5男利孝.藩邸.御殿・正門(黒門)=有形文化財指定=築山が現存.明治以降教育施設として再生→旧制富岡中学校→米軍東京空襲を察知した陸軍中野学校(諜報活動教育)が疎開先として使用→新制富岡高等学校→現在の群馬県立富岡高等学校120年余史。
先日、蛇宮神社から学校を見る機会がありました。
目の前では、弓道部員、たぶん1年生が、ゴム弓で練習していました。
以前は、と言っても40年以上前ですが、北西の所に弓道場がありました。
新校舎を建設するために、理科館と共に解体されたのでしょう。
私が入学した時は、第1体育館の所は木造校舎でした。
廊下はもちろん板張りですが、所どころ板を張って、修繕してありました。
なんでも昭和20年以前、旧富岡中学校の時に、旧陸軍中野学校の一部が疎開して、使用していたようです。
軍靴のまま廊下を歩いたので、傷んだとのことでした。
ですから廊下の雑巾がけは、大変だったと記憶しています。
校庭の東側に、ブロック造りの部室がありました。
私は入学時にスケート研究会に入り、冬場は貫前神社の北側にあった、スケート場で練習していました。
ある時、上級生が部室で喫煙したとかで、一緒にいた人が所属していた応援団と共に廃部になりました。
その後、地学部に入部しました。
顧問の斎藤?先生は、地質学が専門というか、好きだったようでしたが、生徒は天体観測、主に太陽の黒点や流星の観測をしていました。
理科館の屋上で、放射状に仰向けに寝て、ペルセウス座と獅子座流星群の観測をしたことを懐かしく思い出します。
名古屋あたりのFM放送局の電波を使って、電波観測をしていました。
卒業して就職したら、母校に望遠鏡ドームを寄贈したい、と熱く語ってもいました。
地学部の同級生4人の内2人は他界し、下級生も幾人かはそのようです。
また会える日を楽しみにして、今できる事に最善を尽くして参りましょう。
頭良い 勉強したい人が行くところ。
高高より頭がいいです。
自称進学校ですっ!
ここには、七日市藩の門や遺構が残ってます❗
名前 |
群馬県立富岡高等学校 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0274-63-0053 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
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当校のOBです。
私が入学したのが最後の男女共学のクラスが卒業して間もなくの時でした。
また男女共学になったと聞きました。
在校生の人達には悔いのない高校生活をおくっていただきたいと思います。
善きにつけ悪しきにつけ私の人間性に大きな影響力を持った富岡高校に感謝しています。
それはそうと宇佐美先生はお元気なのでしょうか?確か、私達が初めての学級生と聞いていました。
先生は小林先生と共にハンドボール部の顧問をされていて、昼過ぎ、バスタオル一枚で校庭を走り抜けて行ったお姿を記憶しています。
あれは蜃気楼ではなかったと確信しています。