山の斜面にあるこじんまりとした神社です。
桜の季節に立ち寄りましたもう少し手入れが行き届いていればよい所なのですが。
たぶん白狐社と思われるとこにいろいろ置いてあった。
なんでも置いちゃえみたいな感じ。
崖崩れがあったのか参拝できませんでした。
改修を待ってまた訪れたいです。
下仁田町指定史跡・水戸天狗党「義列千秋の碑」山際公園内に山際稲荷神社が祀られています。
いくつもの赤い鳥居を潜りながら階段を上る参道石段の登り口下には、大きな釜が展示されていて目を引きます。
高台からは跡倉クリッペの山々が一望出来ます。
これらの山々は根無し山と言われ、基盤は青い岩石ですが上にのった地層は別の場所から移動し、河川などにより削られ現在の形状になっています。
クリッペは、主に白亜紀(約8000万年前)の海の地層と、ペルム紀(約2億7千万年前)のマグマが地下で冷え固まった石英閃緑岩という岩石で構成されています。
また、元治元年(江戸時代後期)に尊王攘夷を唱える水戸天狗党と幕府の命を受けた高崎藩との間で、壮絶な戦いが行われた下仁田戦争を後世に伝える義烈千秋の碑があります。
(サイト「下仁田ジオパーク」及び「JA甘楽富岡」「下仁田商工会HP」より)下仁田の春の風物詩「山際稲荷神社例大祭」三月、下仁田では本格的な春の訪れを告げる「山際稲荷神社例大祭」が行われます。
稲荷神を乗せた山車が、氏子の下町地区住民によって巡行し、翌日には神社境内で市が開かれ植木や農機具などの販売があります。
四月上旬になると境内に植えられたソメイヨシノが満開となり、神社の荘厳な雰囲気との調和が見事な桜の名所のひとつとなっています。
(サイト「かぶら・ぶらぶら街道」より)2019年11月現在、神社は立入禁止となっています。
一刻も早い復旧をお祈りします。
数年前訪れた神社でしたがよってみました 綺麗に手入れされて地域に愛されていたようでしたが参道脇の社務所が土砂崩れで大破 参道の石段や鳥居参道にも被害が及んでいました 狛犬が石段の真ん中に移動して参拝者を迎えてくれているようにみえほっとしました幸い拝殿と本殿には被害がないように見えましたが整っていた境内は以前に比べると見る影もなく 何とかして復興してほしいものです 昨年豪雨依頼 壊れたり倒壊した神社が 私が遭遇しただけでこれで三件になります。
境内まで車で入ろうと思えば入れますが、一台しか通れないため、町役場東の駐車場に停めて数分歩いて辿り着きました。
雰囲気は悪くないのですが、あまりお手入れをされている様子がありませんでした。
社務所のお守りが並んでいる窓は鍵がかかっていないので開けられますが、そこから大声で呼んでも誰もおらず、玄関に回ってみたら鍵が開いていなかったため、御朱印は頂けませんでした。
こちらには「義烈千秋」と記された、水戸藩士の弔魂碑があります。
水戸天狗党と高崎藩の軍勢が激突した下仁田戦争では多数の戦死者が出ました。
実戦経験の豊富な天狗党は高崎藩に圧勝しましたが、それでも三名の戦死者を出しました。
そのうち十三歳の野村丑之助という少年は、重傷を負ったため、みずから願って首を打たれたといいます。
まさに烈士と言えるでしょう。
しかし、ここで生き延びた人々も、やがては無惨な死に方をすることになります(;_;)/~~~この碑を見に出かけたら、ちょうどお祭りに当たり、地域の人々で賑わっていました。
昔ながらに農具を売っている露店があったので、居合わせたお年寄りに「最近あまり見かけないですねぇ」と話しかけたら「顔馴染みだから信用できるし、ホームセンターで買う物よりも、長く使えるよ」と答えてくれました(^_^ゞ
桜がとても綺麗でした。
夜は誰もいないので夜桜がひとりじめ出来ます。
山の斜面にあるこじんまりとした神社です。
裏手に奥宮もありますが、鳥居が倒れていたり、管理されていない感じでした。
社務所に誰もいなくて御朱印は頂けていません。
その名の通り山際の斜面に築かれた神社です。
階段の灯篭にサトイモみたいな絵が書いてありました。
地元の方は「ほうしのたま」と言っていましたが「宝珠の玉」と同じ物かもしれません。
名前 |
山際稲荷神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0274-82-3066 |
住所 |
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評価 |
3.6 |
陰気な雰囲気の写真が多いですが、上まで上れば景色は良く、思ったよりいいところでした。