小豆島にピッタシの絵柄です。
小豆島にピッタシの絵柄です。
俳句は文学でも文芸でも何でもない!無意味である。
俳句の末期に始まった自由律俳句はその頂点に立つ。
その終末は青木此君楼の二音「かお」「いろ」などを頂点とする。
正一や秀雄も自由律の権化である。
宗艦・守武に始まる俳諧が地に落ちた最頂点は矢数俳諧の西鶴である。
一昼夜で23
私は先日、この横の小道で散歩を楽しんでいたが迂闊にも尾崎放哉さんの墓のそばを横切った事を知りませんでした。
吉村昭さんの『海も暮れ切る』という、尾崎放哉自伝を描いた小説を読んでから訪れると感慨もひとしおだったと思いますし、小説で言及されるゆかりの地も訪れることができたと思います。
こじんまりとした庵ですが、魅力がありました。
自由律の俳句の面白さが堪能できます。
人間の生きざまと何が幸せなのか考えさせられる時間を過ごせます。
とても落ち着いた場所でゆっくり放哉作品に触れることができる。
4月7日は放哉忌が行われます。
迷路のまちでは青空ギャラリーで放哉の句と俳画が展示されています。
俳人なら一度行きましょう!
尾崎放哉は日本の代表的な俳人である。
荻原井泉水に師事種田山頭火等と並び自由律俳句の最も著名な俳人の一人である。
1885年(明治18年)生まれ、鳥取県鳥取市出身で東京大学法学部卒業後現在の朝日生命に入社し、暫くは次長職まで勤めましたが、正確が破天荒でその後、退社しました。
暫くは放浪しながら寺男などしましたが、知り合いの勧めで、小豆島に来て西光寺奥の院で寺男をして俳句を作っていたのです。
1926年に小豆島で死亡しました。
西光寺奥の院に放哉の墓があります。
毎月第3日曜日に尾崎放哉記念館で、自由律俳人の作品を見ながら茶会を開催しています。
尾崎放哉に浸れる場所。
個人的には、放哉と山頭火のあの句が並んでいる書が凄いよかった。
気になる人は是非訪れて!!
名前 |
尾崎放哉記念館 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0879-62-0037 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
尾崎放哉の作品について何一つ知らずに訪れましたが、どんな人かということを知ることができました。
人生とは、人間とは、色々考えさせられました。