駐車スペースまでの道程は険しい お社は素敵でした...
学問の神様らしく、たくさん合格祈願されていました。
建物も景観も素晴らしい最高です。
山間の集落にある。
社殿は杉の大木の間に敷かれた石段を250数段上って、見上げるような深い杉林の中に沈み込んだ境内に東向きに鎮座。
裏にヒノキの巨木がある。
太さも高さも他を圧し、姿に品格を漂わせている。
小さな集落に大きな歴史を感じました。
菅原道真公のご縁があるとのこと・・謎?結構な階段道ですが、それほど難路ではありません。
初夏・梅雨から晩秋にかけてはヤブ蚊がすごいです。
田舎にひっそりと佇む素晴らしい神社。
なかなかハードな石段を登りきった後のお参りは爽快感抜群です。
この神社、一度行けば必ず良さがわかります。
息子の学業成績が向上しますように。
近くに蝋梅が咲いていて、いい香りを漂わせてました。
群馬県富岡市に有ります。
妙義山から車で数分の距離に位置してます。
参拝者は殆ど居ませんので独り占めしてゆっくり参拝出来ます。
本堂の屋根ノキに飾って有る謎の仮面が気になりました。
富岡市指定の重要文化財で、本殿には極彩色の精緻な彫刻が施され、見ごたえがあります。
妙義町菅原神社御祭神 菅原道真公 建御名方命 倉稲魂命 伊邪那美命 日本武尊 石長姫命由来延喜元年(901)、菅原道真公が大宰府に流された時、道真公の第十一子、滋殖命(しげふゆのみこと)と共に召使であった菅根之乙彦が自分の故郷、上野国妙義山麓菅根の里に落延びて住まいを移した所縁が元で創建されました。
延喜三年(903)、道真公が大宰府で死去後、天皇より右大臣及び太政大臣に道真公の追贈がなされ名誉が回復するや、滋殖命も京都に帰り成人し官位に就かれました。
その後、滋殖命は菅根の里に住んでいた頃を偲び、御父君の御姿を木彫りで仕上げ、菅根の里へ贈り届けられました。
里人はこれを御神体として社を建て、氏神様として祀り、村の名も菅原村としたと縁起に誌されています。
寛政八年(1796)の落雷により山門だけ残り社殿は焼失し、当時の領主であった小幡藩主松平玄蕃守忠恵によって、文政五年(1822)に再建され奉納された本殿及び神楽殿が現存しています。
江戸時代には当神社の別当寺であった菅応寺の寺子屋にて行われていた行事として、御神体(童子天神)の御足型を刻んだ御足跡石(約100kg)の上に七歳の子供を上がらせ学業成就を祈る祓いが行われていた由縁から、現在でも特殊神事として新入生や受験生にこの行事を行っています。
武田信玄公亡き後の天正五年(1577)、小幡信龍斎憲重が武田勝頼公に与する証として奉納された鰐口の残る、富岡市妙義町の菅原神社は、東日本で唯一の道真公所縁の天満天神宮として由緒ある神社です。
(境内掲示物より)富岡市指定重要文化財「菅原神社本殿」菅原神社の本殿は、寛政八年(1796)に落雷で焼失したものを、その後領主松平氏が再建したといわれています。
本殿の建築構造は三間社の形式で、屋根は身舎に千鳥破風、向拝軒唐破風が付き、屋根はもともと茅葺(現在は銅板葺)であったといわれています。
千鳥破風には鬼面の彫刻が付き他に類例がないとされ、鬼面彫刻の背面には延享四年(1747)の銘があることから、焼失前の鬼面を再利用したと考えられています。
外部の板壁に彫られた彫刻は妙義神社本殿の影響を受けているとされ、彫刻や細工など江戸中期の建築様式を残すとして、富岡市の重要文化財に指定されています。
(サイト「WEB GUNMA」より)群馬県指定天然記念物「菅原神社の大ヒノキ」本殿裏にある桧の御神木は、目通り5m85cm、樹高30m、推定樹齢800~900年と群馬県内最大で全国では二番目に大きい桧であると、県から天然記念物「菅原神社の大ヒノキ」として指定されました。
(境内掲示物より)県道51号線上にある菅原神社案内板から石段を登り、石段途中中間辺りに「菅原神社祭具倉庫」と書かれた大きな建物があります。
その後方に「菅根之乙彦」をお祀りした社がありました。
更にその奥には「菅原神社蠟梅園」があります。
石段に戻り更に登った境内には、他に単層三間一戸の神門、拝殿、珍しい三間の神楽殿などがあります。
御神木の大ヒノキの後ろ側、木の又に隠れるように天神牛さんの置物が置かれていました。
きっと誰かか奉納したものでしょう。
奉納した方の願いが叶っていますように。
古くて神秘的!ほとんど他の人と出くわす事はなく静かです。
神秘的だが荒れていた。
静かな建たずまいです。
誰もいないです。
神社ゆえに評価は、難しく彫刻は良かったです。
伝えによれば、菅原道真公に仕えてた方がこの近くで、御守りしながら、世を送ったそうですね。
この神社のある集落は、その名も菅原となっています。
言い伝えでは、菅原道真が藤原時平の讒言によって太宰府へ流された時、その子である滋植は、まだ三歳の幼な児でした。
道真の従者であった菅根の乙彦は、自分の故郷である山里へ滋植を連れ帰って養育しました。
道真は失意のうちに亡くなりましたが、やがて名誉回復の沙汰があったので、成人した滋植は都へ上り、官位を与えられました。
官職に付いた滋植は在りし日の父の姿を、みずから木像に刻み、自分が育った里へ送り届けました。
里人は、これを御神体として社を建て、里の名も菅原と改めたといいます(^_^ゞ現地を訪ねてみると、狭い急坂を登りつめた駐車場は、まるで廃墟という感じでした。
ところが、そこから続く長い長い石段を登ると…立派な社殿があったので驚きました。
本殿の屋根の上でカッと目を見開いた鬼の面と、色彩豊かな彫刻には目を奪われました。
長い石段を登ってきた甲斐がありました(*^^*)
神社まで山道を登ります。
鳥居から先は石段です。
先に妙義神社に行ってきたのですがここも同じくらい登ります。
頂上の社殿の向拝の上、よく見ないと見逃してしまいますが、破風の下に社額と鬼の顔でしょうか?・・・一般に破風の下には懸魚なんですが !! 珍しいです。
暗いとわからないので写真でも撮って拡大してみると解ります。
駐車スペースまでの道程は険しいお社は素敵でしたが雨でぬかるんでいたため枯葉で滑ります。
名前 |
菅原神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0274-73-4061 |
住所 |
|
評価 |
4.1 |
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県外からの旅でたまたま通りかかって石段を登ってみたら、とても良い雰囲気でした。
御由緒もとても興味深く拝読しました。
また行きたいです。