名前 |
鷹巣神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
2.3 |
鷹巣神社御祭神 大物主命 火産霊命 伊勢三郎義盛公創建 慶長十九年(1614)以前由緒鷹巣神社は、碓氷川を見下ろす鷹巣山に鎮座する板鼻の鎮守で、従来金比羅宮でした。
鷹巣山は依田新六郎光慶の古城祉で、山頂に祀られた石神を母体に慶長年間(1596~1615)、旧別当本山派修験三宝院鷹巣寺祐善により境内の造営がなされ、二世祐尊の代に酒井雅楽頭祈願所となり、額殿、神楽殿、神門が整備され、西上州の山伏を統括する正年行事職に就きました。
江戸期には、中山道板鼻宿の発展と共に当社も栄え、多くの崇敬者と旅人の憩いの神域となりました。
明治六年(1873)、村社となり、同四二年(1909)、本町八坂神社、神明宮、愛宕、管沢稲荷、関口取勝明神等を合祀して鷹巣神社と改称されました。
その中で神明宮は伊勢殿と呼ばれ、ここから西上州に伊勢の神宮大麻が頒布されました。
取勝明神は、伊勢三郎義盛公を祀り、付近に屋敷跡が伝わっています。
また現在、板鼻の夏祭(祇園祭)には旧道に多くの露店が並び、合祀社八坂社跡で茅の輪神事の後、御輿渡御が盛大に行われ、各区御旅所で町内安全が祈願されています。
(鷺宮咲前神社HPより)板鼻の古城住宅団地入口の信号東側の、擁壁に沿って登って行く坂道を、鷹の巣橋と安中方面を見晴らしながら進むと、右に曲がって竹林の中に入り、上水施設の横を通って、墓地がある少し上に神門がありました。
神門の龍の彫り物は迫力があります。
神門の手前に鷹巣神社の社号標と、二基の石祠があります。
石祠は比較的新しく見えたので、後年この位置に移動してきたのではないかと考え、神門からさらに先に進むと、左手フェンス際に「太々御神楽講」と書かれた小さな石柱がありました。
さらに先に、右手の藪の中に大きめの「芭蕉句碑」、その少し先にも藪の中に石碑がありました。
尾根を登る山道に、途中途中で石段の痕跡があり、左側下に碓氷川と安中方面が見えますが、あまりの高さに絶景どころか落ちたり崩れたりしたらまずアウトな恐怖心が沸き起こります。
その先に石垣が組まれた部分があり、いくつか名前が刻まれた石造りの玉垣と水盤がありましたので、おそらくこの石垣のある位置が元々鷹巣神社が鎮座していた場所ではないかと思われました。