その規模は日本でも有数です。
龍王山城跡(南城)龍王山城は大和北部にある龍王山に北城と南城があり、その規模は日本でも有数です。
南城の標高は585.9mで北城は60mほど低い位置にあり北城が本城で南城が詰めの城と考えられています。
比高は約485mあり高取城を越え規模も大和国最大です。
石垣や土塁、堀、曲輪が現存し見応え十分の城跡です。
史跡指定されてないのが謎なくらい。
散策は北城と南城を合わせて約4.3km所要時間2時間高低差330mほどでした。
ただし登城路が荒廃激しく城内を散策するには厳重な装備で向かう必要があります。
倒木はあたりまえ、藪が密集しており道が消えていますのでご注意下さい。
【歴史】元は十市氏の居城でしたが、松永久秀の大和侵攻によって傘下となります。
天正5年(1577年)松永久秀が織田信長に対して謀反を起こし、龍王山城の松永久通も自害。
その後天正6年(1578年)織田信長の命により廃城となりました。
【アクセス】北城の登山口付近に駐車場があります。
南城も一緒に散策するならそこが一番おすすめです。
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大和の国人領主十市氏が普請を行なった中世山城城郭である。
東西に連なる6箇所の郭群が古龍王山城にあたり、後世釜口・穴師山方面に郭群が造成・改修されていった様だ。
古龍王山城東側の郭には大土塁・大堀切が普請されており、藤井・笠方面への防御の高い意識が感じられる。
後世造成・改修された西側郭群は削平が緩い広い郭が広がっている。
しかし、桝形郭の遺構もあり、近世城郭に近い普請の箇所もある。
登山道整備の為か、破壊されている遺構もあり、城址公園としての整備・保存を望む。
奈良盆地を一望できます!
麓の長岳寺の山号になっている釜ノ口山とも言う。
十市氏によって築かれた山城で1483年以前からの存在が指摘されており、信貴山城に対抗した本格的な城郭だった。
当初、大和に入ってきた松永久秀に筒井氏とともに抵抗したが、やがて、松永傘下となり、龍王山城は久秀の甥・久通が城主となったが、1577年に信長に背いた信貴山城の戦いのなかで久秀、久通は敗死し、翌年には信長の命で破棄された。
20/11/30、訪問。
山頂周辺には平らにならされ、城があったことが分かる。
山頂直下に池があったり、谷筋の水も豊かだったりするので、水には恵まれた城だったのではないだろうか。
北城への通路には何ヵ所か「通行止め」の表示があったので、今回はパスした。
整備を期待する。
主郭部の往復は30分みておけば十分である。
途上道が良く整備されており迷うことなく主郭部に辿り着くことができる。
北城と違い南城は景観がとても良い。
その分細かい遺構等はふつーに主郭部往復のみでは発見できないのでハイキングがてらの登城がよかろう。
整備された道の途上では目立った遺構は特に散見されず、あくまで主郭部とその手前の曲輪がはっきりとわかる程度であくまで曲輪を楽しむ山城という感じ。
じっくりがっつり訪問の方は少し拍子抜けするかもしれぬ。
上級者は道なき道を行きあれこれ遺構を探索したまえよ、と思う。
ちなみに車で登城をお考えの諸君は北城経由の道で来るが良い。
というのも南から北上して南城に辿り着く道は現在通行不可能っぽい。
北城通過→南城というルートで来ることを念頭において頂きたい。
南城登城口には5台弱停めれるスペースがある、が、途上の道はとっても狭い。
車の退避スペースがほぼない道を10分弱登ることになる、運転に自信の無い方はご注意あれ、皆さんに幸あれ。
大和三山が見渡せ、後ろには金剛山、葛城山、二上山までも背景にあります。
名前 |
龍王山城(南城)跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
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貸切状態でとても癒やされた風の波動がとてつもなく美しい。