想いを馳せるにはちょうどイイ場所です。
札幌飛行場正門跡と「風雪」碑 / / .
門柱しか残っていませんが、かつてここに札幌飛行場がありました。
現在は丘珠空港がその役割を引き継いでいます。
1926年(大正15年)から1945年(昭和20年)まで使用されていた札幌飛行場跡地の門柱です。
この様な歴史的資料は、後世に残しておくべきです。
こんな所に札幌飛行場があったなんて驚きです。
北大そば北24条に。
まだ続いていたら面白いまちづくりになっていたでしょうね。
今となっては本当に正門の跡しか残っていないのですが…。
周りを新しい建物に囲まれた中に古いものが残っているというインパクトはあります。
わざわざみに来るほどのものかどうかは疑問ですが、日常の中にそういうものがまだ残っている、ということを感じられるという点で、存在の価値は十分にあると思います。
興味がある方は来て、雰囲気を味わってみたら面白いかもしれませんね。
かつてこの地にあった札幌飛行場、今は門柱のほか、少し離れた北側に札幌飛行場用の防風林が残されています門柱と防風林…両方とも残しておきたいですね札幌近郊で戦時中の飛行場跡を確認出来るのは、この札幌飛行場跡と記念碑がある江別市の王子飛行場跡のみ千歳の旧海軍飛行場跡は別にして、苫小牧の沼ノ端飛行場、白老の敷生飛行場、室蘭の八丁平飛行場は跡地の痕跡をほとんど見つけることが難しくなっています。
古い飛行場跡の門柱があるだけです。
現在奥は陶芸教室になっている。
通りがかりに見つけて📷におさめた。
ここが飛行場跡との説明盤を読んだのみ。
ただ門柱と説明文があるだけ。
門柱が残っているのが不思議です。
高校生のころ、下校時何回か前を歩きました。
家が数軒と並んでいたと思ったが、専門学校やスーパーができ北24条西も発展したものだ。
札幌環状線札幌飛行場正門跡札幌飛行場は、かつては北海道と東京を結ぶ唯一の航空路を持っていた飛行場で、1926(大正15)年、旧北海タイムス社が報道用のため、北24条以北を滑走路として使用したことに始まる。
兵2万5千人が集まった1936(昭和11)年の陸軍特別大演習の観兵式は、この飛行場で行われた。
太平洋戦争中は製鉄・兵器工場のあった室蘭を守備するため、日本陸軍飛行第13戦隊が配備された。
航空機を飛行場へ誘導するための航空灯台は、南1西2にある丸井今井札幌本店屋上の塔屋に設置されていた。
1945(昭和20)年の終戦とともに閉鎖されたが、跡地では進駐軍の落下傘降下部隊が何度か降下訓練を行っている。
飛行場の北側に設けられていた防風林は、緑地を活かす形で道路として造成され、北27条公園通となった。
もう少し、どういう位置に滑走路があったなどの情報があったほうがいいと思う。
記念碑しか残っていませんが、想いを馳せるにはちょうどイイ場所です。
名前 |
札幌飛行場正門跡と「風雪」碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
http://www.city.sapporo.jp/ncms/shimin/heiwa/rekishi_senseki/senseki/senseki_04/ |
評価 |
3.6 |
門柱の前は開けた北大の構内が広がってますね。
30年以上前にこの門柱の前を通って毎日高校に通っていました。
その頃を懐かしく思いながら拝見させていただきました。