垂仁天皇の時代から奈良の三輪山の神様が舟でいらっし...
富士川町からバスで来ました。
16時頃ですがかなり暗めになっていました。
桜が綺麗でしたよ❗
普段は人気なく寂しい雰囲気でした。
昼間なのに怖かったです。
神部神社(下宮地)かんべじんじゃ山梨県南アルプス市下宮地563祭神大物主命大和国の大神神社から勧請神部神社の論社で他は神部神社(上萩原)と神部神社(上神内川)にあります太神山(みわ)に山宮があり当社は里宮に当たります論社の何れかが式内社であるかですが多数説は当社が式内社であるとしています2020/7/27 参詣。
御祭神ー大物主命。
大きな木々に囲まれていて、歴史を感じさせられます。
境内に公園が作られていて地元の人の憩いの場所になってます。
垂仁天皇の時代から奈良の三輪山の神様が舟でいらっしゃるという神事がある神社です。
市内の大神山伝嗣院が旧の山宮。
今はそれよりも少し西にある八幡神社が山宮となっています。
式内社 甲斐國巨麻郡 神部神社神部神社の曳舟神事は興味深いです-境内案内-「第十一代垂仁天皇の御代に大和国大三 輪神社から奉遷されたと伝えられており.....毎年三月二日(往古は二月二日)に行われる舟引祭は 大和国から奉遷 された古事にならってその様子を再現しており.....神事のなかで 木舟の舳先に綱をつけ神主 総代が引くというのは恐らく当時の運搬手段 のひとつとして 木舟を用いて内陸まで出入していたことを演出している ものと思われ 当時の文化流入についての様子がうかがえる遺産である..........」
ほこら神様を石垣の上に祀ってあるのが珍しいと思いました。
整然としていて良い雰囲気でした。
狛犬が、白色系の石で造られていたので遠くから見たら平成になってから建てられたものかと思いましたが、近くで見るとなんとも可愛らしい表情とデザインに感動しました。
刻印を見ると昭和初期の作品で、やっぱり昭和初期までの作品は味があっていいなと思いました。
管理が行き届いており、また訪れたくなる神社でした。
春は桜が美しく、夏は涼しい境内です。
氏子さんにより草刈りなど手入れが行き届いています。
名前 |
神部神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
関連サイト |
http://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/5124 |
評価 |
4.1 |
周辺のオススメ
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三代實にも載るほどの格式を持つ神社。
どの書をあけてもこの神社の紹介は数ページにもわたる程の歴史をもつ。
❸【参考 三輪明神 郷土研究 昭和9年】三輪明神社記いわく神部神社と称す。
大和国 城上郡 三輪神社より勧請する。
毎年2月2日 船祭という遷座の時の式がある。
これは上世社前まで湖なりし時、船にてこの地にわたり給いし式といいつたわる。
官位を数度じょせられる。
保元、平治の後も、逸見、小笠原、武田家等の尊崇を集める。
などなど 省略・・[鎮座地] 大井村下宮地[祭神] 大国主命[御朱印社領] 16石3斗あまり[境内地面積] 1169坪❶【参考 神部神社 やまなし史跡めぐり 1978年】言い伝えによると垂仁天皇の時代(\t632年~638年)大和国磯城郡大三輪神社から三輪明神を勧請して同社を創建したとなっている。
その伝説はともかく、同社が古い歴史を持つのは、我が国最古の宮社一覧表の 延喜式の神名帳(905年後醍醐天皇による) にその名がみえることからも推測できる。
神部は“カンベ”と称し、古くは“ミワ”を読まれていたといわれている。
ミワは 大和国磯城郡大三輪神社の神のこととされる。
山梨郡の神部神社は一宮町_橋立明神を御坂町_二之宮の地に移した 美和神社 だといわれている。
巨摩郡の神部神社は甲西町宮地のそれである。
伝えによると、三輪神社が同社へ勧請されたころは、この付近はまだ湖だったという。
ために、明神は船で渡ってこられた。
その姿を示現した祭りが、旧暦2月2日に行われている。
かっては「船祭」、現在は「船引祭」といわれるのがそれである。
同社には「西御幸」といわれるまつりがある。
この祭りは武田時代から徳川時代にかけて「公祭」として官から武器、警護の兵がつけられるほどの格式を持っていた。
❷【参考 神部神社 三代實】貞観5年(863年年)6月8日 甲斐国 従5位下勲12等美和神従5位上貞観8年(866年年)3月28日 甲斐国 従5位上勲12等美和神従授正5位下貞観18年(876年年)7月11日 甲斐国 正5位下美和神正5位上元慶4年(880年)2月8日 甲斐国 正5位上美和神 従4位下。