地域の人達に大切にされています。
出雲国風土記によると横田郷の名は郷内にある四段ほどの形の長い田があることに由来するとされる。
地名説話としてはへたな部類か。
神社年間の由緒には垂仁天皇の時代、御神体二体を刻み、社造して祀るとある。
相当に古い神社と伝わっていた。
伊賀多氣神社は『雲陽誌』(享保六(1,717)年編纂の松江藩の藩撰地誌)では五十猛神社と記されている所から見れば、またオロチ伝説の地にふさわしい神ではある。
もともと、現在より川上の五反田の東辺からそう遠くない所にあったと言う。
大呂神社か鬼神神社の辺りであろうか。
どちらにしても、鳥上峯とされる船通山に懐かれる地域である。
天文年間(1532?1555年)に横田郷を尼子氏が制圧し、藤ヶ瀬城下の鎮守となった代官森脇家真と五反田屋の手によって、現在地へ遷し、再興されたという。
地域の人達に大切にされています。
名前 |
伊賀多氣神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0854-52-0346 |
住所 |
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関連サイト |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-shimane/jsearch3shimane.php?jinjya=6360 |
評価 |
4.2 |
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伊賀多気神社いがたけじんじゃ島根県仁多郡奥出雲町横田1278祭神五十猛命父のスサノオノミコトと朝鮮へ行き木の種を持ち帰り日本で植林する五十猛命を祭祀している総本社は紀州の伊太祁曽神社です。