この塚が有ることに気が付きました。
三島駅よりに綺麗なフラワーアートが有ったから道路を渡り写真を撮っていて、この塚が有ることに気が付きました。
富士山の溶岩がここまで流れて来るとは!驚きと噴火の恐怖を感じます。
およそ1万年前の富士山の噴火の際に流れ出た溶岩流の跡です。
この地にはかつて愛染院というお寺がありましたが、明治の廃仏毀釈の際に廃寺となっており現在はありません。
名前 |
愛染院跡の熔岩塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
https://www.city.mishima.shizuoka.jp/websystem/bunkazai/syousai000044.html |
評価 |
3.3 |
昔、ここに在った愛染院(あいぜんいん)は、真言宗高野山派に属し、室町時代には三嶋大社の別当寺院として10数カ所の末寺を有する伊豆随一の大寺院であったと云われ、鎌倉幕府二代将軍・源頼家の親書『心経』を有していました。
(現在は三嶋大社所蔵)この事は、源頼家が父・源頼朝の念持仏が『愛染明王』であった事が関係していると思われます。
江戸時代の安政年間(1850年代)に発生した『安政の大地震』により、伽藍が壊滅的に倒壊し、以降再建が遅々と進みませんでした。
三島駅が現在の地に作られ、駅前の開発が行われる事に伴い愛染院と称され威容を誇った大寺院は、完全に姿を消し去り『愛染院跡の溶岩塚』だけが残っています。