名前 |
神明宮 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
光善寺神明宮主祭神 大日孁命(天照大御神)合祀神 大山祇命 市杵島姫命 木之花佐久夜毘賣命 猿田彦大神 菅原道真公 健雷命 大物主命県道20号線の「邑楽町役場入口」信号を西に曲がってすぐのところに「神明宮」があります。
神社境内の最西側に「富士塚」があり、そこから「邑楽町シンボルタワー 未来MiRAi」と、その手前の広々とした「おうら中央多目的広場」が見えます。
神明宮社殿と富士塚の間に、「菅原神社」と「琴平神社」、「塩釜神社」の石祠があって、その並びに「青面金剛像」があります。
由緒光善寺神明宮の由緒は詳らかではないですが、文禄三年(1594)にこの地に勧請され大日孁命(天照皇大神)を祭神とし国家の繁栄と平和、地域の安寧と農業の守護神として先祖氏子の皆様に崇敬され郷土の鎮守様として祀り受け継がれてきました。
その後厳島神社、大山祇神社の合祀、庚申社、三社神社、富士嶽神社を併祀し又数度に亘ったであろう社殿の修復等幾多の変遷を経ながら数百年の風雪に耐えてきました。
この神域をめぐる情勢は道路整備急速な都市化等によりその環境が頓に近代化され周囲との均衡を保ち神明宮の尊厳を維持高揚する上にも社殿の改修と神域の整備が考慮されていました。
図らずも平成元年邑楽町の町道整備計画により、社殿、三社神社を新築し富士嶽神社、庚申社を移動し内宮及び祭祀具を新調して遷宮いたしました。
参道及び狛犬、御手洗石、浅間神社鳥居、春日燈籠、賽銭箱、大鈴等を備え付け、神苑を整え外玉垣を設け神域を一新しました。
(境内「神明宮竣工記念碑」より抜粋)