横浜検疫所があり場所柄知識や英語の堪能な野口英世さ...
野口英世という有名人物の施設なので、金沢区はもっとアピールしてもよいと思う。
野口英世さんの、勤務室を復元されています。
年中無休で、無料なうえに、かわいい屋根です。
入り口で、野口のおじさんがお出迎えしてくれますよ。
さすが、日本のお札になった人ですね。
😃
野口英世が横浜の検疫所で勤務していたことは知っていたが、それが現存していて、こんなところにあったとは、意外だった。
当時の海岸線がここまで迫っていたことも展示資料を見て、よく理解できた。
すぐ近くの長浜公園には汽水の大きな池があり、野鳥観測所が数ヶ所設けられているので、訪問する価値はあると思う。
入場無料、写真撮影可。
自動音声による解説。
展示物多い。
こんなところが横浜にあったなんて!
幼い頃は長浜検疫所一帯は入ることができず、中がどのようになっているのかわからなかったので、行ってみるとそのぶん不思議な雰囲気になりました。
1899年にわずか半年くらいですが野口英世が働いていたゆかりの場所で、外国船の検疫でペスト菌を発見するなど功績を残しています。
現在、建物を含む周囲は長浜野口記念公園として整備され細菌検査室は改修され資料館なっており無料で入場できます。
館内は説明のためのアナウンスも流れるのでわかりやすいです。
(見学者が来るとセンサーが反応して照明が点灯し説明が始まる)ちなみに前を横切る道路あたりが埋め立てられる前の海岸線で目の前の横浜高校グラウンドや長浜公園は埋め立てによりできた場所になります。
スロープがあり車椅子のままでも入場可能ですが多少段差があります。
駐車場あり。
1895_築。
1923_倒壊し再建。
1997_大幅に修復して開館。
備品などは当時のもの○1899の5ヶ月間、野口英世が勤務した長浜検疫所の建物の1つ●歴史的建造物の「旧長濱検疫所一号停留所(横浜検疫所検疫資料館)」は、横浜検疫所の敷地内にあり、年1回 8月に見ることができる。
旧長濱検疫所の細菌検査室野口英世記念公園内に保存される明治時代の建築遺産にして医療文化史跡。
野口英世先生が検疫所職員時代に日本初❝ペスト❞の患者を臨港検疫で発見し日本へのペスト流入を食い止めた当時正に働いていた場所。
現在、日本人の多くは野口英世先生がここでペストを食い止めていなかった生まれていなかったかも知れない、そんな医療の聖地。
明治三十九年(1899年)まだ22歳の野口英世先生が当時、明治政府に因って❝海港検疫法❞が公布された。
すると旧長濱検疫所は横濱海港検疫所として再スタートし、当時は北里研究所で北里柴三郎先生の開いた伝染病研究所で研究助手をしていた野口英世先生に白羽の矢が立って❝海港検疫医官補❞として入所赴任。
すると横浜港に入港しようとし横濱海港検疫所に停泊していた❝亜米利加(アメリカ)丸❞の清国(中国)人乗船員がペストに感染しているのを野口英世先生が発見、ペストの日本侵入と蔓延を事前に食い止めた。
その時に活躍の場と成ったのが正に、この❝旧細菌検査室❞であり、当時の横濱海港検疫所として機能し現在はコンサートホールとして改装され再利用されている長濱ホールだった。
これらの建物はバブル時代に老朽化で破壊されそうに成ったが、野口英世先生の出身地の福島県民と横浜市民と北里大学の関係有志が義挙し保存活動に発展、実に18年間に及ぶ保存維持闘争を経た頃に、横浜市長が高秀秀信市長に成った。
高秀市長は建築族であると同時に歴史知識と教養の深い人物で、この活動に賛同され保護に踏み切り現在では横浜市民に無料で開放され誰でも医聖:野口英世先生の日本防衛の医療聖地を見学する事が出来る。
余談だが高秀市長は他にも横浜市中区元町~山手地区の明治~大正~昭和初期の洋館群を横浜市で買い取り保護し、素敵な街づくりと近代西洋文化保護を行い、更には都筑区センター南駅前の茅ヶ崎城址保護整備により茅ヶ崎城址公園を開き日本の戦国時代の文化史跡保護にも活躍された。
又、茅ヶ崎城から直ぐ近くの大塚歳勝土遺跡を保護し緑地公園と史跡公園として発掘調査させ整備し横浜市立歴史博物館を設立され高秀市長によって保護公園化された大塚歳勝土遺跡は❝国指定史跡❞と成り、素晴らしい商業街造成と史跡文化保護の両立を実現された名市長でもあった。
尚、2018年現在の林文子市長は❝円海山瀬上池~瀬上沢❞の横浜市最大の❝蛍群生地❞の東急不動産による宅地開発を容認する発言をし高秀市長が自然公園化した現地の借地権放棄し一部私有地払下げを黙認し自然公園と遊歩道から分離封鎖させたが、そこが横浜市最後の蛍の大生息地で蛍は絶滅の危機に瀕している。
同様に❝続日本100名城❞に選ばれた小机城址への横浜市史跡指定化を行わず、建築利権かさせ破壊してしまう可能性が有る。
林市長が野口英世記念公園や多くの市の史跡と自然を高秀市長の様に保護され活用される事を期待してレビューに書きます。
名前 |
旧細菌検査室 |
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ジャンル |
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電話番号 |
045-782-7371 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
昔、横浜検疫所があり場所柄知識や英語の堪能な野口英世さんが派遣され伝染病の検疫や研究をしていました。
ここでの活動が後に野口英世さんをアメリカへと渡るきっかけとなったと言われています。
以外に野口英世さんが横浜にいた事は知られていないかも知れません。
その検疫所が移築され残されて記念館として残されました。
貴重な建物と品物が残された場所です。