現在は赤く染まってません。
壬申の乱(672年)で、ここ山中の地では両軍初の衝突が起きています。
七月初め大友軍は精兵を放って、玉倉部邑(関ケ原町玉)を経て大海人軍の側面を衝く急襲戦法に出てきました。
しかし 、大海人軍はこれを撃退、その後この不破道を通って近江へ出撃して行ったのです。
この激戦で、両軍の兵士の流血が川底の岩石を黒く染めたことから、この名が付き、その時の凄まじい様子を今に伝えています。
壬申の乱において初戦で両軍が激突した場所らしいです。
両軍の死者の血により黒くなった事からおどろおどろした名前の川になったみたいです。
壬申の乱以降、多くの戦闘がこの辺りにおいて繰り広げられていたのでしょう。
血で川が黒くなるほど…。
歩いていると見逃しそう。
大谷吉継の墓ここから!の看板でここからも行けるのか!と立ち止まり黒血川の看板に気付く(^^;)幅狭の川とトンネル見つけたらそこが黒血川✴
合戦の中で、兵士の血が川底にたまり黒くなった事から、この名前がついたそう。
怖いですね。
黒血川と言う名前が付く前は何だったんだろう追記10/2 関ヶ原巡り。
現在は赤く染まってません。
歴史ある場所ですねこの先にあるトンネルも気になりました 😅😑このまま進むと 大谷吉継と湯浅五助のお墓に行けます。
趣のあるトンネルです。
黒血川を詠んだ歌「白波は岸の岩根にかかれども黒血の橋の名こそかはらね」(一条兼良/藤川の記)川は白波が立ってるけど黒血という名前だ、という感じで白黒を対比させているだけの歌。
逸話どうり薄暗くて怖い。
歴史ある川。
米原から東へ中山道を歩くとあります。
高校と北大台(原文)高師泰、北畠顕家。
壬申の乱両軍の兵士の血で 川が染まったところから この名が付いたと言われてます。
名前 |
黒血川 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.6 |
黒血川は、元々山中川といわれていましたが、壬申の乱で両軍の兵士の流血が川底の岩石を黒く染めたことから「黒血川」の名が付いたといわれていたそうですよ。
小さい川でしたが水がすごく綺麗でした。