私の祖先と関係があるからね~
案内板から上に 登って行くと削平地を利用したと思われる畑があります。
その奥が本丸らしいのですが竹が生い茂り訪問したお盆の時期は全貌がわからない状態でした。
草木が枯れた冬場にもう一回来てみます。
現在の大阪城(大坂城)は、江戸幕府が建てたもの(天守閣は幕末に焼失したため鉄筋コンクリート製の復元)で、豊臣秀吉が築いた大坂城は地中に埋まっている。
豊臣家の大坂城が、大阪夏の陣で落城した後、摂津大坂藩主として大坂の戦災復興にあたった人物として、松平忠明がいる。
忠明は奥平松平家の祖とされる。
忠明は奥平信昌の四男、母は徳川家康の娘・亀姫(盛徳院)であり、家康の養子となって松平姓を名乗ることを許された。
奥平信昌は、父の奥平定能と共に、織田・徳川連合軍側につき、長篠城に立て籠り、武田勝頼軍の進撃を食い止め、長篠(設楽原)の合戦における織田・徳川連合軍の勝利に貢献した。
長篠の合戦当時、奥平氏は三河国作手(つくで)の国人だったが、家伝では上州(群馬県)が発祥地と言われている。
名前 |
奥平城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.2 |
奥平松平氏の先祖の地ということなので以前竹やぶのなかを進んで行きましたがさしたる遺構が発見出来ませんでした。
今年の2月に訪れたときは説明坂が追加されました。
立地はまずまずまずです。