住宅地の一角にある小さな祠です。
神流川古戦場の戦死者埋葬塚。
ミニマムだが、現代迄地元の人たちによって守られてきた貴重な場所。
神流川合戦死者の墓です。
滝川軍と北條軍。
小さな史跡です。
あまり見るものはありません。
住宅地の一角にある小さな祠です。
駐車場はありません。
天正10年の本能寺の変の後、上州から帰国しようとした滝川一益が、北条氏と戦って敗北します。
(神流川合戦)その時の死者の首実見と埋葬をした場所です。
首から上の病に奇効があると言われています。
高崎市指定文化財「神流川合戦首塚」ここは、天正十年(1582)織田信長の将滝川一益と上州勢が、北条氏と戦った神流川合戦で討死した者の首実見をした所です。
首を一ヵ所に埋葬し一墳とし、無縁の霊を祀り、石祠を設け「首塚」と称しました。
この宮は、首から上の病に奇効があり、脳の病・精神病・歯の病などに苦しむ参詣が多く、丑三時(午前二時頃)誰も知られずに参詣するのが良いと言われます。
合戦で討死した者の霊が悩める人の苦しみを救うからだと言います。
天正十年(1582)瀧川一益、北条氏邦の神流川合戦古戦場に討死した無縁の霊を祭り里人によって首塚と称しました。
古来より首から上の病の神とし参詣人が絶えません。
現在では、十区有志により新たな石祠を建立し、清掃等を行い戦国時代の悲劇の地を大切に守っています。
毎年四月春の祭典が行われ、霊を慰めています。
すぐ西に胴塚(藤岡市岡之郷)もあります。
(現地案内板より)明治四十四年(1911)三月某日、神流川氾濫決壊で復旧工事の為に早堂塚を取崩し、該土砂を以って道路改修に活用すべく撤去作業中、該塚内部から人間の頭蓋骨三百体分が出土して大騒ぎになりました。
群馬縣は該頭蓋骨数体分を東京帝國大学医学部法医学研究室に送り検死を依頼した結果、悉く首骨が鋭利な刀剣で切断された断面を有していた事から神流川合戦で敗軍となった滝川方武将首検分後、不要となった頭部を該地に埋葬したものと断定しました。
地元では、祠を建立し死者の霊を祀りました。
近くに胴塚もあります。
たまたま近くを通りかかって「首塚八幡宮入口」という案内板を目をした時は、思わずギョッとしました。
黄昏時ではあったし…その日は、もう暗くなっていたので、昼間に出直しました。
天正10年(1582年)厩橋城から出撃した滝川一益は、神流川原で北条氏直と激突。
数千とも言われる死者を出して敗走しました。
その時、この場所で獲った首を改めたのだそうです。
数え切れぬ首は、こちらに一緒くたにして葬られました。
残された胴は、すぐ近くの古墳に埋葬されたそうです。
その後、この首塚八幡宮は頭の病気に効く?と言われるようになり、信仰を集めました。
しかも丑三つ時に、誰にも見られず、ひとりで参詣するのが習わしだったとか…真夜中に首塚に詣でるなんて…考えただけでもゾッとします(^_^;)
名前 |
神流川合戦首塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.6 |
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群馬県高崎市にある史跡です。