慶応4年(1868)の大火で焼けてしまいました。
いま本陣跡には歌碑が残されているだけですが、例弊使街道には車が行き交い、宿場町の面影があります(*^^*)
名前 |
木島本陣跡 歌碑 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0270-30-6180 |
住所 |
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関連サイト |
https://www.town.tamamura.lg.jp/soshiki/18/siteisiseki.html#kijimahonjin |
評価 |
4.5 |
玉村宿の木島本陣には日光例幣使や大名が宿泊しましたが、慶応4年(1868)の大火で焼けてしまいました。
日光東照宮への例幣使派遣は正保4年(1647)から慶応3年(1867)まで、221年間一度も中断もなく続けられました。
通例、日光例幣使の帰路は東海道を通りますが、往路だけでなく、帰路も日光例幣使道を利用した参議綾小路有長が書き残した和歌が石碑となって当時の名残を止めています。
「玉むらの やどりにひらく玉くしげふたたびきその かへさやすらに」(歌意=今回無事使命を果たし、玉村宿にふたたび戻ってきたが、前途の木曽路も一路平安であることを祈る。
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