名前 |
琴平神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
市場町琴平神社御祭神 大物主命沿革古時より分合改称なし市場の名称は往々鎌倉時代の豪族館跡に接近して存在する地名なれば此の地亦然るべし。
この地に国済寺城跡あり。
城跡の中には国済寺の遺跡有り其の地より鎌倉時代かと思はれる古瓦と礎石を出し嘉元三年(1305)建武元年(1334)延暦元年(782)等の板碑も発見せられたるを以て鎌倉時代よりすでに豪族の居館となり其の居館附近に城下町の如く市場の発展して遂に市場の名を得たるものならん。
又此の村字八幡林には古墳群あり又字道場には円墳の大なるもの在り而してその西南に近く九重の石層塔片も散在するを以て其の地開発頗る古きこと知るべし。
天正十八年(1590)榊原式部大輔館村之を領す寛永二十年(1643)徳川氏代官支配となり同二十一年松原和泉守館村に属し寛文元年(1661)館村宰相綱吉領地たり明治元年(1868)岩鼻縣に入り同四年群馬県入り更に栃木県に転じ同年九月再び群馬県に属す。
鎌倉時代滅亡后延元年間(1336~1340)に至りて関東地方も乱れて所々に戦有り武人は戦備の為松明を要する事多く附近の土民は其の需要を充たさんと四方より此の地に集い商う者多くなりしとか。
其の時勢変遷と共に松明市場は哀徴し其の名のみ残りしなり。
(山田郡誌より抜粋)琴平神社は癪の神とされ病底抜けとなるの揄より祈願せし者全快すれば柄杓の底を抜きたる物を奉納せしものなり。
(山田郡誌より抜粋)「新ぐんま名木十選入選記念碑」琴平神社の御祭神は大物主命にあらせられ古来より願望の神とされ亦開運並びに諸災消除にあらたかな神として崇められています。
大ケヤキは古くより住民の御神木として親しまれ多くの伝説を秘め名木として崇拝されています。
かつて戦後時代市場城の辰巳の方に位しており其の古き歴史を物語っている御神木については同郷の戦士が異郷にありて遠く南十字星の彼方より祖国家郷の大樹の下で戯れし頃を想いそぞろ郷愁の念もひとしおだったとも聴きます。
其の樹令も長い幾星霜の風雪に堪え乍ら凡そ約五百年以上と推定される其の過程には、落雷及び大正昭和と二回に亘り火災に遭い、洞穴内部は炭状に腐朽して今尚其の痕跡をとどめています。
旺盛期は雄大にして高く中空に聳え、地上より低くして三岐となり根張り良く、地表に露出して其の一枝は対岸迄伸び盆栽型の偉容は、まさに其の荘厳さを象徴しています。
(境内記念碑より)