資料によると、県立伊勢崎高等特別支援学校、長光寺、境公園などのある一帯が境城の跡である。
境城は、南を城沼(芦沼)に面する高さ4m程の崖を利用し、他の3方に濠をめぐらした単郭の城で五角形だったそうだ。
今では、長光寺の南側の小公園の弁天池だけが残っているだけである。
弁天池は、城沼(芦沼)の東端部が残り、 中の小島に弁財天が祀られているのでそう呼ばれているそうだ。
境城跡附近には城跡であることを示す文化財標柱、解説板などの類は所在してませんが、弁天池の北側に所在している築山のある個所は公園化され、「境公園」という石柱が設置されていた。
この石柱が城跡との関連を想起する唯一の目印なのかも知れません。
境城は、室町時代にこの地を治めていた井上平左衛門によって築かれたといわれる。
戦国時代の天正年間(1573-91)には、小此木(小柴)氏の所領となり盛光・長光父子が在城した。
小柴氏は、はじめ那波氏、後に由良氏に属した。
とありました。
名前 |
境城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.2 |
公園になってました。
すぐ横の池に、弁天様が祀られています。