また鎌倉時代の設立とも言伝えられます。
近所に住んでいます。
町内会の神社ではないのですが、住所では氏神さまになります。
いつもきれいになっていて気持ちの良い神社です。
二年参りに是非来たいと思っています。
御祭神 品陀和氣命(応神天皇) 息長足姫命(神功皇后) 建御名方命 八坂売命(素戔嗚尊) 大日孁命(天照大御神) 宇迦之御魂命 豊宇気昆売命境内末社 八坂神社 秋葉神社 雷電神社 熊野神社由緒口碑によれば現社殿の前の神殿の奥に天平元年(729)と記したる木札ありと言われ、また鎌倉時代の設立とも言伝えられます。
往昔の烏川の水流は西南方より我峰八幡神社に突き当たり、一大深淵をなしていて鮭はここに集まり、これより上らない為、一名勝であったと言われ、この故事により神社付近を「鮭の森」と呼び、参拝者が多く訪れました。
明治初年(1868)に村社に列せられ、昭和十九年(1944)神饌幣供進指定社となり、現社殿は平成七年(1995)に改築、境内に手水舎・人形納め所を新築。
また境内の經塚は永禄四年(1562)の武田信玄箕輪城攻略の折、住吉城の城主・清水少内記、藤原正智が宝物・経典を埋蔵したと云われています。
我峰八幡神社は勝利の神として職業繁栄を守り、悪疫除け・家内安全の神として崇敬されています。
(境内案内板より)八幡神社の経塚この小さな塚は、経塚と言われています。
記録によると、永禄年間(1558~1569)沖町の烏川と白川の合流点の台地に構えられた住吉城(箕輪城の防衛砦の一つ)の守将・清水少内記正智が、城内や八幡神社の伝世品を武田勢の略奪から免れるために埋めた場所と言われています。
本来、経塚は釈迦の死後六億七千万年後、弥勒仏が現れて人々を救うまで、釈迦の教えが消えてしまわないよう、釈迦の教えである経典を土の中に埋めて保存しておくために作られた塚でした。
その後時代を経るに従い本来の意味が薄れて、何かの供養やこの塚のような目的で作られるようになりました。
現在はこの上に鎮座している社は雛供養のためのものです。
(境内案内板より)神龍我峰八幡太鼓平成六年(1994)高崎市我峰町の氏神、我峰八幡神社改築した際に社殿の床下から屋台の枠組みの一部が発見され、その木材に刻み込まれていた文字「弘化五年揖戌申造之」から江戸時代末期の1848年に作成されたものとわかりました。
その後、我峰地区の歴史を物語る貴重な遺産である屋台を修復し復元しました。
復元後、町内屋台巡行の際は、他町村より太鼓を借りるとともにお囃子の演奏をお願いしての秋祭りとなりました。
その当時、希望者を募り和太鼓演奏の練習を太鼓の不足を古タイヤで代用する状況の中で開始し、神龍我峰八幡太鼓会を結成しました。
結成から十余年、会員も少しずつ増え、沢山の方々の支援を頂きながら活動をしています。
(2016年榛名湖湖上音楽祭パンフより)
名前 |
我峰八幡神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
027-343-0753 |
住所 |
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評価 |
3.7 |
風が気持ちよかった。