後に妙義神社となったらしい。
妙義神社の資料に、古くは波己曾(はこそ)明神と称し、『三代実録』の貞観元年(859)三月二十六日に、「授上野國正六位上波己曾神從五位下」とあり、『上野国神階帳』に「従二位 波己曾大明神」とある古社。
妙義山の中の白雲山周辺の地は「七波己曾」と呼ばれ、山麓に波己曾神社が分布して、丹生都姫命(にうつひめのみこと)を祀っていたらしい。
本来、当社も波己曾神を主祭神としていたが、いつの頃か、別に妙義大権現が成立して、本社となり、波己曾神は境内社に遷された状態になったようだ。
とあります。
波己曾神とは、資料によると、妙義山の古名は、「はこそやま」といわれ、山麓の村々には、「波己曾(はこそ)神社」が祭られてあり、いつの頃に「妙義山」と変化したのか、由来は不明である。
己曾は即ち社であり、波は岩(伊波)の伊が脱落したのであるというのである。
つまり岩社である。
「こそ」とは或は帰化人関係の神社を指した詞ではあるまいか。
とあります。
銅鳥居と手水舎の間、右側に有ります。
「明暦二年建立と推定」と説明ありました。
(^_^)y-゜゜゜゜゜
名前 |
波己曽神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0274-73-2119 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
元々は妙義神社ではなく、波己曽神社(はこそじんじゃ)だったようで、後に妙義神社となったらしい。
小さいながらも黒を基調とした威厳を感じる造りになってました。