倉渕三の倉を見下ろす静かな神社⛩
倉渕三の倉を見下ろす静かな神社⛩
御祭神 火産霊神 埴山毘売神市指定天然記念物「戸春名神社の大杉」戸春名神社の創始はいつのことかはっきりしませんが、室町時代に三ノ倉の氏神であった社が、榛名神社の神徳にあやかろうと分霊を願い、「外榛名神社」となったのではないかと言われます。
寛永八年(1631)の水帳には「外榛名前」の田などと地名がわりに使われています。
社地内には勝軍地蔵、諏訪神社、天満宮、三泰大神宮の小祠があります。
この杉木立は樹齢四百年と言い伝えられてきました。
特に、市道と接する参道の左右に立つ大杉は御神木で、樹齢は凡そ五百年と推定されています。
(境内案内板より)江戸時代に榛名信仰が浸透し、榛名神社は雨乞いの神として有名で関東各地からの信者で賑わっていました。
その参詣路の入口に、戸春名神社が勧請されています。
また、榛名神社に祀られていた勝軍地蔵が、明治の廃仏毀釈の時に危うく捨てられそうになりましたが、戸春名神社に預けられ、助かったと言います。
今では貴重な文化財として保存されています。
(パンフレット「くらぶち道祖神の里めぐり」より)三ノ倉の戸春名神社・権田の椿名神社・それに明神の裾野神社は、共に榛名信仰に関係ある神社といわれます。
榛名神社は平安時代末期から江戸時代にかけて広い信仰圈をもち、霊験あらたかなりとしてその影響力は大きかった。
したがって、榛名山周囲の山砦こ帯にはこのような神社が数多くあります。
これらの神社は、その原始的創始は別なものであったと思われますが、中世以降において、榛名信仰の影響を受け、榛名神社に関係あるものに変わったと考えられます。
榛名信仰というのは、榛名神社の神徳を信じこれを尊崇するもので、その起源は平安時代末期であり、この頃巌殿寺(中世以降の榛名寺の名称)の僧正を座主とし、神仏混合の神社として名を広めました。
江戸時代中期に入っては、五穀豊穣・火伏せの神として一般庶民の信仰が厚く、県内外からの参詣者引きも切らず、山内には社家町ができて数多くの坊をもち、これが榛名講の代参にくる人たちを迎えて非常に栄えました。
この榛名信仰をつくり出した榛名神社は延喜式にその名が出て居り、もとは古来の神道に基づく神社でしたが、仏教の普及によって神仏混交の神社に変えられました。
中世における呼び名を榛名山満行権現と呼び、とくに武士の信仰が厚かったのです。
(サイト「倉渕の神社・もろもろの神仏」より)
高崎市下倉渕町三ノ倉〔戸春名神社〕の石段途中(右側)に芭蕉句碑が建っている。
此あたり目に見ゆるもの皆涼し はせを 碑の建立年代は分かっていない。
名前 |
戸春名神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
027-374-9058 |
住所 |
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評価 |
4.0 |
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めちゃくちゃ雰囲気のある神社。
由緒書きも正直で好感が持てる。
急な階段に注意。