国道1号線と国道2号線を制覇しました!
東からの国道1号線は此処までで、此処から西は2号線なんですね。
これは多分このあたりと思っていましたが、他にも幾つかの起点終点だったんですね。
国道の起点終点の場所。
高麗橋の里程元標跡とともに、大阪の道路元標の名所。
デザインは錘重(下げ振り・鉛直錘)の形をしており基準点を意味しているのでしょう東京日本橋の日本国道路元標に対すべく意識を少し感じ取れるのが楽しい。
何回か訪れたことのある大阪市道路元標です。
ここは東京日本橋と同じ路線数の起終点(7つ、ただ日本橋はすべて起点)ありますが、違う所は四方すべて国道が指定されているということですね。
あと163号の終点が上野市(現伊賀市)となっていますが、1993年に延伸され現在は三重県津市が終点となっています。
ここよく通るんでなにかな?程度だったんですが、googlemapの通知で気がつきました(笑)
東京からのなんちゃってキャノンボール(東西道路元標間550kmライド、東京都神奈川県のみ分乗)のゴール地として訪れました。
やはり達成感はひとしおでした。
ごく一部の自転車乗りにとっての聖地!?です。
自分がかなりの方向音痴なので見つけるのに時間かかってしまいました。
1国 ・2国・25号・イナロク(176号)の分水嶺です。
知る人ぞ知るひっそりとした佇まいです。
ここが基点であるという明確なモニュメントというかシンボルが普通に設置してある大切なしるしです。
ただ、わざわざ見に行くものかなというとそうではないかなと、旅行をされている方やこういうのが好きな方にはたまらない印なのかもしれません。
ここで国道1号線(東海道・京街道)が終わり、ここから国道2号線(山陽道)が始まる。
右にひたすら歩いていけば日本橋、左にひたすら歩いていけば下関。
関門海峡渡れば(歩いていける海底トンネル有り)九州上陸です。
ロマンを感じます。
起点もしくは終点となる基準が鎮座しています。
振り子かガイルの頭みたいなデザインです。
立派なものですが位置が埋もれた様な場所にあるため知らないと歩いていても遠くから見ても気が付かない程度のものです。
この標識がある梅田新道交差点は、国道1号と2号の境界として道路マニア(?)には有名なところです。
その他5本の国道の起終点でもありますが、国道423号はわずかの差で掠っており、ここを通過していません。
存在を知らなかった。
江戸時代、高麗橋左岸側にあった里程元標が廃止され、道路元標としてこの場所に改められました。
道路標識に掲げられている距離表示は、各地の道路元標を基準にして、その距離を求めています。
道路元標は、街づくりの基点にもなる大切なものなので、その場所が変わったという事は、その時をもって都市計画が大転換したという証拠でもあります。
ちなみに、現在、道路元標がおかれている場所は、江戸時代までは大坂の街外れに当たりました。
少し南側の堂島は、江戸時代に市街地として開拓され、繁華街になったばかりの場所になります。
明治期以降の大阪の街が拡大していく始まりの場所に、大阪市の道路元標は置かれていると、言えると思います。
ここは7本もの国道の起点または終点となっており、極めて重要な交差点です。
・国道1号線 … 東京都まで・国道2号線 … 北九州市まで・国道25号線 … 四日市市まで・国道26号線 … 和歌山市まで・国道163号… 三重県上野市まで(上野市は2004年に市町村合併で伊賀市)・国道165号線 … 三重県津市まで・国道176号線 … 京都府宮津市まで。
江戸時代諸街道の起終点は、高麗橋であった。
その後、道路法の制定で国道ルートの整備がされ、大正11年には現大阪市役所前に設置された。
さらに昭和27 年新道路法が成立(このとき、東京-大阪間国道2号が1号になった)、道路元標も現在位置に移設された。
梅田新道交差点。
たくさんの国道が集う交差点。
ここから様々な方向へ繋がる。
国道1号線と国道2号線を制覇しました!
バイク自転車は歩道に上げて記念撮影ができます。
国道走破などの記念に。
ひっそりと。
ここ梅田新道交差点大阪市道路元標は、国道1号線と2号線の分岐交差点であります。
東京日本橋から大阪梅田新道交差点までが、国道1号線であります。
名前 |
大阪市道路元標 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
お江戸日本橋からスタートした国道1号線はここで終了。
北九州へ向かう2号線がスタートします。
地図好きなお子様などにも喜ばれそう。