かっての街道沿いの賑わいも時代の変化に翻弄され残さ...
御祭神 木花咲耶姫命 磐長姫命境内祭神 諏訪社 熊野社 白山社 東照宮 北野社 稲荷社 八幡宮 琴平社 大山祇社 菊絞碑 日月祭神旧倉渕村川浦に川浦富士山があり、山頂は城跡になっています。
、天正十年頃に真田昌幸が北条勢の侵攻に備えて築城したと言われており、その麓に浅間神社があります。
社殿往昔は宏壮な社殿なりしが明治十五年十二月祝融の災に罹り翌年仮宮を再建し奉り大正五年四月拝殿を改築し奉る。
縁起当社は大永年間(1521~1527)川浦桑元の冨士山山頂に浅間宮を奉祀し給いしが老者女童の参詣に難儀のため現在の浄地をえらび元和十年(1624)奥の宮を鎮座し寛永七年(1630)社殿を建立し遷宮奉り川浦岩永の氏子並に信者の鎮守として尊崇せらる。
(境内案内板より)高崎市指定重要有形民俗文化財 浅間神社の百庚申村内にある数多い庚申塔のうち百庚申は二種あります。
百庚申は「親庚申」を中心に百基(計百一基)造立する場合と、一石または幾つかの石に庚申(青面金剛・猿田彦)の像や文字を百通り刻む百庚申があります。
浅間神社の百庚申は方錐角柱の各面に二十五体、総計百体の青面金剛を浮き彫りしている県下でも珍しい一石百庚申です。
庚申講は六十日ごとに巡ってくる庚申の夜に、講中の人々が一同に会し夜、食事をし話し合い、人体中にある「三尸虫」が天帝(帝釈天とされる)にその人の罪過を告げにいくのを防ぐ日待行事です。
(境内案内板より)高崎市指定天然記念物 浅間神社の大カエデ神社境内の入口付近にあって、幹はやや北側に傾斜し、1.3mの所で3本に分かれています。
樹種はオオモミジで、樹高は11m、目通り3.1m、根元廻り3.2mで県内でも屈指に入る大カエデです。
(高崎市公式HPより)川浦、宮原部落の西に浅間神社がある。
社地は裏山を含め一町九反と非常に広く、また社地内には多くの老杉が生い茂っている。
この神社はその名の示す通り浅間信仰に基づくものである。
浅間信仰というのは、富土山の神霊をまつるもので、静岡県富士宮市の浅間神社を総本社とする、古代の人は強力な活火山である富士山そのものを神としておそれ崇拝した。
後に権力者が神を利用するにあたって、その祭神を本花咲耶姫と設足したもので、浅間神社本社は延喜大で名神大社に列してしる。
中世武家の崇敬厚く、他方への分祀が行なわれ、その数は千三百を数えるに至った。
浅間信仰は神社神道を本位としながらも仏教との習合、修験者との提携が行なわれて加持祈祷を修し、江戸を中心に東日本の民衆の信仰を集めた。
(世界大百科辞典)(昭和50年発行『倉渕村誌』より抜粋)
名前 |
浅間神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
027-343-8957 |
住所 |
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評価 |
4.0 |
かっての街道沿いの賑わいも時代の変化に翻弄され残された遺構が物語る。