山あいのひっそり静かなお寺さんです。
国分山 医王寺 (IOUJI) / / .
滝がある美しいお寺です。
薬師如来様がご本尊です。
御住職様は気さくでとても親しみやすい方です。
御朱印と指輪のお守りを頂きました。
入口には摩利支天様もお座りになられて、パワースポットのような雰囲気です。
ご縁を頂けてとても感謝しています。
ありがとうございます。
日本3薬師の一つ。
温泉街からは階段を少し上るが、温泉街の景色や風情ある境内を楽しめる。
孫たちと訪れました❗️スタンプを捺して楽しんでいました。
私は勿論、御朱印ですね😃
近くに山中温泉が一望できる場所ありますよ。
とても趣きのある、静かないい場所でした。
さまざまな紅葉の木が、素晴らしかったです!!
日本三薬師❗御本尊…【薬師如来】様🙏…滝の側に【川濯明神】様も安置されております。
表は【不動明王】そして【川濯明神】として…つまりは【瀬織津姫】
山中温泉が一望出来て✨素晴らしい‼️空気も良くて🍀すっきり爽やか😃✨良い所😃
山あいのひっそり静かなお寺さんです。
ご住職様の奥様に御朱印をいただきました。
とても良い応対をしてくださりました。
元禄2年(1689)7月末、〔奥の細道〕の旅で山中温泉に滞在した芭蕉は、〔医王寺〕を訪れている。
本文には出てこないが、旅に随行した曽良の旅日記の廿八日の項に、 薬師堂其外町辺ヲ見ル と記載されている。
薬師堂は医王寺のこと。
境内に芭蕉句碑が建っている。
山中や菊は手折らし湯の匂ひ 芭蕉 昭和58年(1983)に建立された碑。
芭蕉の句碑以外にも、詳細は分からないが、・可床句碑 梢から染るてもなし初紅葉 可床 ・叡運歌碑 けがれたる人の心も清まりぬ此の山かげのたきの流れに 叡運 ・尚生句碑 惜しみなく咲けよ花に僧一句 尚生 ・三句を刻んだ句碑 撫子の花や秋知る湯の薫り 蒼 さめてゆく湯の落ち知りや杜若 梅通 土用湯や空の病の根なし雲 謹一 などの碑が建っている。
駐車場が分かりにくく敷地内に止めさせもらいました。
御朱印あり頂きありがとうございました。
医王寺(加賀市)概要: 医王寺の創建は天平年間(729~48)、行基菩薩がこの地を訪れた際、山中温泉を発見し、温泉の守護の為自ら薬師如来像を彫像し一宇を設けて安置したのが始まりと伝えられています。
承平年間(931~38)に兵乱の兵火により堂宇が焼失し温泉も荒廃しましたが、建久年間(1190~92)に鎌倉幕府の御家人長谷部信連が地頭としてこの地に赴任してきた際、薬師如来の化身の御告げにより山中温泉を再興し医王寺も再建しました。
寺宝も多く、陶製金剛童子立像(後藤才次郎と田村権左右衛門が寄進、陶製、像高48.5cm、明治33年に明治天皇が命名)が昭和25年に国指定重要文化財に、文化9年(1812)に製作された山中温泉縁起絵巻が加賀市指定文化財にそれぞれ指定されています。
又、永福寺(蛸薬師:京都府京都市)、一畑寺(一畑薬師:島根県出雲市)と共に日本三薬師の一つに数えられています。
山中漆器蒔絵の祖 会津屋由蔵之碑過る天保九年、会津若松より由蔵なる者来山す。
当時山中の佳人越前屋六右衛門、漆器商を営み諸国の人とよく交わり会津の方言を解し得たり。
その来山の理由を尋ぬるに漆工の技を心得たることを知り六右衛門はその技術の伝授を望む。
しかれども会津藩の法度として他国へ技術を伝授したる者は極刑に処せらるるの故をもって立去る。
六右衛門これを追い四十九院より連れ戻し自宅に宿泊せしめ、一方奉行所へも嘆願せしが由蔵は隠密の疑ありとして容易にこれを許されず。
再三嘆願の末在住許可を得、滞在数年由蔵は故国の老母を思う一念、母を伴い再び来ることを思い立ち一旦会津に引返す。
不幸にして奉行所に捕まえられしが、由蔵事の次第を有態に自白せしかば由蔵の孝心にいたく感銘し金一封を授与し放免す。
由蔵再び来山し、我谷より妻を娶りここに永住。
蒔絵の技法を伝授して山中漆器の発展に貢献す。
ここに山中漆器の基礎確立す。
由蔵の死後、その功により明治二十五年八月十五日石川県知事鈴木大亮より、更に明治三十一年五月三十日農商務大臣金子堅太郎よりそれぞれ追賞を受けたり。
ここに山中漆器関係有志相計りその功績を讃え碑を建立す。
四十七年六月五日 山中漆器商工業協同組合 会津屋由蔵四代田中信清。
境内に滝があったり、崖面の苔に紛れて石仏があったりと見所いっぱいでした。
名前 |
国分山 医王寺 (IOUJI) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0761-78-1230 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
温泉入湯客の心と身体の安らぎの寺だそうです。
寺の中の滝の水が落ちる音だけが響く静寂な場所でした。