2019年に参拝に行きました。
皆沢八幡宮(忠綱明神)御祭神 田原又太郎忠綱公霊(足利忠綱)境内社 三社相殿(神武社・菅原天神神社・雷電社) 弁天社皆沢八幡宮は皆沢地区の要所、皆沢川と中川の合流地点南東の高所に鎮座し、以仁王の挙兵において宇治川(平家物語でいう橋合戦)の先陣で名高い上野の武士、足利又太郎忠綱(藤姓足利氏)を祀っています。
この地域は昔は下野国に属していたので、旧住所は栃木県です。
昭和四十三年(1968)四月に栃木県安蘇郡田沼町飛駒の一部(入飛駒)が桐生市梅田町に編入されました。
「野州安蘇郡飛駒村貝沢の八幡は、田原又太郎忠綱の霊を祀ると伝えられた。
建久五年という年に攻められて討死したというものである。
白犬が鳴いて隠れ家を敵に知らせ、また山鳥の羽を矧いだ箭をもって射られたといって、氏子は今もってこの二物を忌むそうである」(『柳田國男全集13』ちくま文庫より)下野国誌に「忠綱明神安蘇郡彦間村の貝沢というところにあり。
足利又太郎忠綱の霊を祖るところなり。
佐野軍記を考うるに忠綱は平家滅亡後上総介義兼朝臣をたのみて随従しけるが、ゆえ有りてここに来りて自害す。
これによりて義兼朝臣その霊を鎮め祀る。
」とあります。
また下野神社社沿革史(明治三十五年風山広雄編)によると、「当社は今を去ること七九〇年前即ち建久五年三月十五日の創立に係る。
これより先、治承四年高倉宮謀反の挙あるや、田原又太郎忠綱といえる人あり、位は従四位上にして官は足利下野守たり、力量衆に抽んで勇武絶倫を以って称せらる。
ことに音声は雷のごとく一里の外に達するという。
.されぼ是時も宇治川の戦に先陣となって功あり、平清盛之を賞するに蝶の紋章をゆ石し且つ旧地足利に於いて十二万石を領すべきを以てす。
後建久五年におよび、故ありて今の飛駒の地に戦死すと伝う。
其の状の口碑に残れる大略を挙ぐれぱ、是時忠綱公には味方の手のもの散々に打たれて今ははや頼み少なく見えけれど、英気は日頃に百倍して、単騎敵軍に突撃し、(中略)ここを先途と戦えど、衆寡当りがたく(中略)一方の血路を開いて走りいで民家に潜伏せしにまたもや烈しく追い来る敵のため見出され(中略)且つ戦い且つ退き、次第に山の麓に達せしかぼ、頂へ馳せ上り大木の下に隠れ息をこらしていたりける。
ここは今の神祠のある処たり。
しぱらくして敵軍のひきいる一頭の白犬あり、公の跡をおうて来たり遂に其の所在を見出し敵に知らしむ。
時に敵将某はるかに之を見て、山鳥の羽すげたる征矢を番えて公を射る。
忠綱ついに死す。
土民その死骸を現今の社地に埋葬して其の霊を杞り、入彦間郷の鎮守と崇む。
これその由緒の概要なり。
爾来入彦問郷内にては白犬を飼い、山鳥の羽毛を携うることを忌むの伝承あり。
(中略)社地高燥にして古松老杉蔚然と天外に隻立し、社殿蒼然として古雅荘厳の仙境なり。
皆沢川その下をめぐり屈曲長蛇の奔るごとく水急にして清洌なり。
(下略)」なお昭和二十八年四月二十三日宗教法人として認定されました。
(桐生市史神社編由緒)桐生市指定重要文化財「皆沢八幡宮本殿」18世紀後半に建立されたと思われる本殿は、柿葺、隅木入りの春日造で正面向拝には唐破風を設け、浜床を持っています。
組み物から上は朱塗りされ、彩色された龍頭の彫刻が施されるなど、鮮やかさが際立っています。
建物の壁面に嵌め込まれた彫刻は、縁が鋭い平面的な浮彫で、背面の彫刻には「加永四亥 三月廿九日出来上州勢多郡萩原村星野東渓 行年八十才」の墨書がみられます。
本殿床下内部の壁面からは、建立時の原寸図と思われる組物と垂木を描いた墨書が確認されています。
本殿内部には忠綱明神像と伝えられる天文十二年(1543)の墨書がある木彫りの神像が安置されています。
(サイト「桐生市HP」より)桐生市指定無形民俗文化財「皆沢地区の百万遍念仏」百万遍念仏は浄土往生のため、念仏を百万回唱えることです。
元弘元年(1331)七月に疫病が流行して、京都知恩寺の八世善阿空円が後醍醐天皇の勅を奉じて、宮中において七日間の百万回念仏を修したのがはじまりといわれています。
この百万回念仏が本県内に広まったのは、江戸時代になってからと思われます。
皆沢地区における百万遍念仏のはじまりは明らかではないですが、江戸時代から継承されているものと考えられ、集落からの悪疫退散として、かつては皆沢川で沐浴したのち、朝から夜まで各戸をすべて回った村の一大行事であったといいます。
現在では佐野方面に向かう飛駒口、皆沢の奥にあたる中の沢、そして梅田からの入口にあたる庚申様前の三カ所の辻で、毎年盆明けの8月17日の午前中に行われています。
地区の老若男女が八畳間ほどに広がる数珠を、鉦と太鼓の拍子にあわせ「ナムアミダブツ」と唱えながら繰りまわし、最後に激しく引き合いながら集落の外に追い出して終わります。
皆沢地区の百万遍念仏は、桐生地方に伝わる数少ない民俗信仰の一つです。
(サイト「桐生市HP」より)P.S. aki toyamaさんありがとう~(*´▽`*)
2019年に参拝に行きました。
こちらは昨年の春頃神社彫刻を検索していたら桐生市のホームページで見つけました。
時間が出来たら行ってみたいと思っていた場所です。
桐生市奥の方は幾つもの沢に分かれていて行きたいところがみんな違う方向なので大変です。
この神社は私より前にローカルガイドの田中小荷さんが掲載をして頂いていたようですが、今年に入ってからのGoogleマップの削除の嵐で相当数の神社登録が抹消されました。
当然そこに投稿していた写真もすべて無くなってしまいました。
多分投稿した田中さんもショックだったと思います。
取り合えずまた登録できましたので、これにめげずに投稿してください。
いつも拝見しています。
話がそれましたが、中々趣のある神社です。
やはり風化が大分進んで傷みがかなり見受けられます。
向かって本殿左側と背面は浅堀りの感じですが右側良いですね。
柵も間隔がありますので撮影も比較的しやすいです。
多分また相棒のyoneさんと来ることになりそうです。
前回は爺さん一人でしたから。
神社近くにカエデの巨木があり、晩秋に楽しめます。
ただ、ここから梅田大橋までは中型二輪が土日終日通行禁止なので、バイクの人は注意が必要です。
山奥にある彫刻の神社。
桐生市指定の重要文化財です。
文化財です。
敷地内に集会所と公園(広場)があります。
名前 |
皆沢八幡宮 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
ここへは、佐野方面からアクセスする方が、山間ののんびりした風景を堪能しつつ、のんびりドライブできます都市が近いのにも関わらず、一本、道を入ると小さい頃に見た風景に出会えることは、とても貴重です地域の集会所の、否、神社敷地に地域の集会所があるという場所です。
ちょっとした小山のような、大きな岩の上に鎮座されています。
この光景に、足利の名草の巨石信仰を連想しました。
社殿の裏に回ると、その様子がよくわかります。
宇治川の戦いで功を上げた、足利又太郎忠綱がお祀りされているとのこと。
社殿は保護目的の建物で覆われていますが、これもいい造りで味わいがあります。
加えて、社殿脇の彫り物も、手が込んでいて見る価値十二分にあります。
人の往来は少なく、ひとりボッとするには最適な場所です。
お詣りしたのは11/15、今年の紅葉には少し早かったようですがそれでも皆沢川の紅葉は、見事でした。
おとなりの庚申塔群とワンセットで、お詣りしたいところです。