国の特別史跡に指定されている。
上野三碑のうちでは最も古い六八一年の建碑となります。
現存する日本最古の石碑である宇治川断碑は六四六年(大化の改新の翌年)のものですが、十全に近い状態で保存されている石碑としては山ノ上碑が日本最古となります。
碑文の内容は史料的価値はともかくとして浪漫を感じるよう内容でなく、偉い坊さんが亡くなった母ちゃんに手向けた母ちゃん自慢とご先祖様自慢です。
ただ、その母ちゃんを埋葬した古墳が石碑(を保存するために建てられた覆屋)の隣に現存していて、建碑当時の状況をうかがい知れるのが魅力です。
なお、古墳は石室まで公開されていますが、カマドウマが群生していると看板にあって、中にはいるのはあきらめました。
城跡を探索中に発見した。
駐車場もすぐ上にあります。
三郡坂東の札所になってます。
特別史跡指定にもなってる。
目の前には、絶望の階段が待ち構えてます。
(笑)(・ε・` )171段位ありました。
伊香保の半分だから問題ないでしょう。
階段の中腹あたりに休憩ポイント東屋あります。
地元の方声かけて下さいました御朱印あるので良かったら持って行って下さいとの事。
帰りに頂きました。
古墳の方は内部入れます。
以前藪塚で見た物と造りが同じでした。
土の盛り方、入り口が正面になっている事等古墳の上にハイキングコースがあります。
城跡はこちらから行けました。
とても綺麗で碑や古墳が見学出来ました。
話し手さんが分かりやすく説明してくれてとても満足しました('-^*)ok💨是非是非一度行って見て下さい。
すごくきれいに整備されています。
長く階段登りますが手すりあり。
音声ガイドあり。
碑はガラス越しに眺めます。
古墳目当てで来ました。
ボランティアの方がライトを貸してくれ石室に入る事が出来ました。
石室は入り口は狭いですが奥に入ると大人が立てる高さがあります。
夏場になると天井は虫だらけになるので要注意。
山上碑についてはボランティアの方が丁寧に説明して頂き大変わかりやすかったです。
確かに最古の石碑がここまで完全な形で残っているのは珍しいですね。
気楽に観光しようとすると大変です。
場所までの道路は狭い場所があるので対向車に気をつけながら進みます。
駐車場は2箇所あるようで、1箇所にはトイレもあります。
駐車場から少し歩き、急な階段を登ります。
階段は疲れますが、登りきった時は達成感があります。
古墳の中には入れるようですが、虫が発生している場合があると注意書きがあるので、入るには勇気がいります。
2022年1月5日に上野三碑めぐりバス(無料)を利用して見学しました。
この山上碑(やまのうえひ)は、長利という放光寺のお坊さんが、自分の母親の黒目刀自(くろめとじ)の追善供養として辛巳歳(かのとみのとし)681年10月3日に墓碑を書いたとあります。
黒目刀自は、佐野三家(屯倉 みやけ)をおさめた健守命(たけもりのみこと)の子孫だと記されています。
また、新川臣(にいかわのおみ)の子の斯多々弥足尼(したたみのすくね)の孫の大児臣(おおごのおみ)と結婚して長利が生まれたことが分かります。
完全な形で残っている石碑文としては、国内最古かと思います。
欠損があり、一部を復元した石碑文では、宇治市の宇治橋断碑(大化2年646年以降)が最古だったと思います。
隣接する山上(やまのうえ)古墳は、山上碑よりも数十年早く築造されていたとのことで、黒目刀自の父の墳墓として造られた模様です。
その後、黒目刀自が追葬されたことになります。
この時代は、他家に嫁いだ女性も実家の墓に埋葬されたのかと驚きました。
横穴式石室の正面側から見ると円墳に見えます。
実際は、山寄せ式の終末期古墳にあたると思います。
真っ直ぐ登る石段は、結構な段数です。
頑張って登ってください。
山上古墳と山上碑素晴らしかった。
連面と1300年以上繋がって居るんだなあ、今の私たちの命。
階段を登るのはきつかった、訪れて良かった。
ユネスコの文化遺産に登録されたころボランティアが説明していました。
昔の時代は女系家族だったようで女性は産まれた家の墳墓に入ったとか。
そういえばちょっと前に、平塚らいていが元始、女性は太陽であったとか‼️
古墳までの階段がなかなかいい運動になりました😅
上野三碑めぐりで来ました。
上野三碑をつなぐ会が企画した謎解きでどうしても現地で確認しなければならない問題があるため訪れたのですが、木道と碑まで3往復しました。
いい運動になりました。
上野三碑の中でも、全国的に見ても最古(厳密には「当初の形を保ってる中では最古」)の碑ではあるが、パッと見て「おおっ!」となるようなものではないので、出来るだけ予習した方が良い。
もし予習してないなら、山上碑と金井沢碑はスルーして、まずは多胡碑近くの多胡碑記念館に行って、碑文の背景を理解していくと良い。
行くまでの道が狭くて、自動車だとちょっと大変。
駐車場にはトイレしかなく、自販機はない。
若干階段を登ることになるので、事前に飲み物を用意しておいたほうが良いかも。
階段も含めてしっかり整備されていて、クロックスでも余裕で登れます。
ボランティアガイドさんに説明してもらい、飛鳥時代に想いを寄せました。
奥の道を歩けば、武田信玄が作らせた山城もあり、ちょっとしたハイキングを楽しみました😃
20数年群馬に居たのに❗️初めて行って来ました💦(笑)❗️ユネスコに登録されたから結構の人が来てると思ってましたが😅❗❓️人が全然居なく淋しかったです😅❗駐車場🅿️はあります😃
ライトと音声ガイダンスがついているので、いつでも問題なく見学できます。
ボランティアの解説があってよかった。
上野三碑(こうずけさんぴ)巡りで、山上碑に行って来ました。
資料では山上碑は飛鳥時代の681年に建てられたもので、完全な形で残っているものとしては日本最古の石碑です。
石をあまり加工しないで使っており、朝鮮半島の新羅[しらぎ]の石碑(6世紀)に類似しています、とあります。
ところで、車で行く際は上野三碑の中で一番道が分かりづらいようです。
多胡碑から回る際はここの丘陵地帯に南ルートで入るので分かりやすいのでしょうが、今回は金井沢碑から回った為東ルートで入ってしまい、山の斜面の新興住宅街から抜ける道を見落とし(と言っても途中、軽自動車で通れるかどうかの細道で、推奨していないのか道案内もありません)、そのあたりに駐車して山上碑登り口までかなり歩きました。
ここまで車でこれたのにと思いつつ、標高差50m程の石段を登って山上碑にたどり着くことが出来ました。
夏に石室に入るなら、カマドウマの大群が落下してくるので注意。
あと、思う以上に山登りするから、体力を消耗する覚悟は必要。
国指定特別史跡。
「山上碑は飛鳥時代の681年に建てられたもので、完全な形で残っているものとしては日本最古の石碑。
放光寺の僧である長利が、亡き母の黒売刀自(くろめとじ)を供養するとともに、母と自分の系譜を記している」とのこと。
(高崎市Webページより)山上碑は隣接する山ノ上古墳の墓誌であるとされている。
山ノ上古墳は直径15m程の円墳、築造時期は石碑の建てられた681年より数十年古い年代が想定されている。
山ノ上古墳は黒売刀自の父の墓として造られ、その後、黒売刀自が追葬されたものと考えられている。
(ウィキペディアより)
“山上”とある様に、正に山の上にあります。
世界遺産の三碑の内の一つなのですが、登録されて間もない所為かタクシーの運転手さんも場所を知らなくて、最初間違えて別の場所を案内されました。
Googleマップを手掛かりに入口発見。
変態的に長く急な階段を登った先には(キツいですよ!)、他のニ碑同様ボランティアのガイドさん達がいて、訊けば詳しく解説してくれます。
歴史に興味が無い人にとっては唯の石ですが、ガイドさんの解説を聴いている内に興味が湧いて来るかもしれませんよ?「群馬」の名の由来とか、訊いてみて下さい。
保護されている碑のすぐ隣には小さな古墳(?)が有り、その穴の中へ入らせて貰えます。
屈んだ儘どうにか入れますが、狭いので中年太りの当方、こちらもちとキツかったです。
解説を忘れちゃいましたが、もしかしたら石碑にあるお坊さんの御母堂のお墓かもしれません。
ご先祖だったっけなぁ?他の場所にあるニ碑は登るのは容易でしたが、こちらはナメて登ると大変な目に会います。
登るコースがその階段のみの様に思われるので、ご高齢の方や足の不自由な方にはちょっと無理かもしれません。
楽なコースが有ればいいのですが......?ただ、時間的に何十分も登る訳では無いので、ちょっと気合を入れて頑張って一気に登ってみて下さい。
私はたった二日で、三碑と富岡製糸場とで計4ヶ所の世界遺産を堪能出来たので、魅力度ランキングでは何故か毎年下位の群馬を、存分に楽しめました。
駐車場が2ヶ所あり、奥の駐車場のほうが山上碑に近くトイレもあります。
山上碑までは階段を200段ほど登るとボランティアガイドの方がいて解説をしてくれます。
史跡の価値は理解できますが、付帯の観光設備が追いついていませんね。
高崎市頑張って下さい。
山上碑は完全なる古墳だいなぁ!此方はボランティアの方々にお茶と🍵お新香をご馳走になりました。
取り敢えず 本当山上なので脚がガタガタになりますね(#^.^#)
自分1人しか居なくて怖かったが、山名八幡と山上碑を見てきました なかなかこの二つ良い。
駐車場から、それほど遠くないです。
階段はそれほどありませんから、歩けます。
小さいけど、歴史の重さを感じて、厳かな気持ちになります。
無料駐車場が整備されていますが、石碑までの石段は、約135段あります。
飛鳥時代の西暦681年(天武天皇10年)に建てられたもので、放光寺の僧、長利が亡くなった母のために建立した石碑です。
完全な形で残っているものとしては日本最古の石碑で、縦書き4行53文字が日本語の語順で刻まれ、日本語の源流といわれています。
自然石をあまり加工しないで使っており、朝鮮半島の新羅の石碑に類似しているとのことです。
隣接する古墳には、長利の父母が埋葬されていたと考えられています。
日本で最古の日本語読みできる(漢文ではない)石碑です。
滅茶苦茶要約すると、「私(僧侶)の母が亡くなったのでここに記す」的な事が彫られています。
道は山名(東)方面からと、西山名(南)方面からの2つがありますが、山名(東)方面は道が狭く、車の場合、全く行き違いできませんので、西山名(南)方面からお越しください。
ちゃんとした駐車場&トイレがあります。
碑自体は、長い急な石段を登った上にあります。
足腰に自信の無い方は、多胡碑をお勧めします。
ヤマピーカワイイ!!
山ノ上碑(やまのうえのひ)は、高崎市山名町にある古碑であり、国の特別史跡に指定されている。
金井沢碑、多胡碑とともに「上野三碑」といわれている。
「辛已歳」、天智天皇10年(681年)建碑と考えられており、上野三碑の中で一番古い。
高さ120センチメートル、幅50センチメートル、厚さ50センチメートルの輝石安山岩に4行53文字が薬研彫りで刻まれている。
書体は古い隷書体の特徴が見られる。
隣接の山上古墳の墓誌といわれており、碑面は摩耗が進んでいるが肉眼でも概ね読むことができる。
名前 |
山上碑・山上古墳 |
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ジャンル |
|
電話番号 |
027-321-1292 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.9 |
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近くまで車で行かれますが目的地周辺は道が狭いので大型車は第二駐車場の利用をお勧めします山上碑と古墳は良く整備されてますガイドのかたの説明も解りやすく、日頃あまりガイドを頼まないのですが、今日はお話を聞かせて頂いて良かったと思いました江戸時代の石段を現代に生きる私たちが歩いているかと思うと感慨深いものがあります。